急増する貨物輸送の需要を支えた「小型コンテナ」
戦後の混乱を乗り越え、日本の景気は1955年後半から徐々に回復しました。
世界におけるエネルギー源が石炭から石油に移行したことなどを背景に海運市場が活性化、日本にも「造船ブーム」が訪れ、船の輸出で大きな利益を上げました。
加えて米が大豊作となり、戦後最高の収穫量を記録。「神武天皇が即位した年(紀元前660年)以来、例を見ない好景気」と揶揄され、「神武景気」といわれるようになりました。この好景気が、日本の高度経済成長期へとつながる扉を開くことになります。
1956年、日本はソ連との国交正常化を経て、国際連合に加盟。当時の経済企画庁が経済白書『日本経済の成長と近代化』の結びで「もはや戦後ではない」と記述し、それが流行語となりました。一人当たりのGNP(国内総生産)は戦前の水準を超え、さらにこれより、日本経済は大きく成長していきます。
庶民の生活も変わりつつあり、冷蔵庫、洗濯機、白黒テレビという家電の「三種の神器」が売れ始めました。ただしこの時点では、三種の神器はいまだ高嶺の花であり、人々は電気店などの街頭にあるテレビの前に群がって観戦しました。当時の大人気番組はプロレスで、力道山が日本中を沸かせていました。
終戦から約20年。
それだけの期間で、日本は再び立ち上がり、先進国への道を歩み始めたのです。
終戦直後の焼け野原を知る人々が、好景気に沸き、物資が豊富にそろう街を歩いた際の感動はいかほどのものだったでしょう。
物流においては、トラックが徐々に普及し始めましたが、主役はまだ鉄道でした。
鉄道輸送は経済成長に伴って著しく増加し、1936年に163億トンであった貨物輸送量が、1955年には426億トンと、約2.6倍となりました。ちなみに1955年の自動車の貨物輸送量は75億トンにとどまっています。
急激に増え続ける貨物輸送需要に対し、1956年ごろには国鉄の輸送力が追い付かなくなりました。
国鉄は輸送力の増強を迫られますが、資金不足や車両の不足などもあって、輸送力の増強はなかなか進みませんでした。
このままでは国の経済発展の妨げになると、事態を重く見た政府は、運輸省内に「緊急輸送対策連絡会議」を設置し、輸送力不足の解消に本腰を入れました。そして会議体の主導のうえ、地方海運局および陸運局においては、それぞれ国鉄の滞貨を海運やトラックに振り分ける態勢を整えました。そのほかに、輸送量の多い地域のトラックの貸し出し、臨時免許によるトラックの動員といった対策を実施しました。
財政によるバックアップが得られたことで、国鉄もようやく長期的視野のもと輸送力の強化に取り組めるようになりました。
なお、1955年ごろから運送の現場で実装されていったのが、コンテナです。それまでの梱包は木箱やムシロ包みなどで、荷の形や大きさはバラバラでしたが、日本通運が開発したジュラルミン製の小型コンテナの登場で、より効率的に荷を積載するとともに、鉄道からトラックへといった輸送時の連携もスムーズに行えるようになりました。国鉄も3トン大型コンテナを開発し、現在も続く鉄道コンテナ輸送の礎を築きました。
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