先生とは違う基準で子どもを見る…字は汚くてもいい?
小学校に入ると、宿題が出されます。代表的なのが「漢字ドリル」と「計算ドリル」です。どちらも大事なことです。大事なことなのですが、子どもの性格や得意不得意によっては、苦痛に感じる場合もあるでしょう。
もちろん、どちらもきれいな字で丁寧にやるのがいいに決まっています。でも、苦手なことを延々とさせられるのが苦痛で勉強そのものまでいやになったとしたら、逆効果です。
わが家の三人の子どもは、同じ「漢字ドリル」の宿題が出ても、負担感は三者三様でした。長男は、何の苦もなくさっさと終わらせて遊びに行っていました。次男は、いやでいやで仕方がなく、ギリギリになってやっつけるという感じ。だから、読むのもひと苦労なミミズのような汚い字でノートを埋めていました。
字を書くことが大好きな娘は、「先生に見せるための美しい字」を嬉々としてノートに書いていました。「きれいな字を書く」ことにこだわる先生もいらっしゃいます。でも、きれいな字が書けない子はどうしても書けないのです。
そんな子どもにきれいな字を書くよう強要しても苦痛を与えるだけ。もちろん、先生はクラスの全員に同じ宿題を出さなければならないし、きれいな字を書くことが目標であれば、指導が厳しくなっても仕方ありません。
だからせめて、お母さんだけは学校の先生とは違う基準でわが子を見てあげましょう。私は「宿題をやる意味」と「宿題を済ませることの重圧」を天秤にかけて、子どもに合わせて基準を変えていました。
もしわが子が漢字を覚えていないのなら、「漢字を覚えているかどうか」を基準にしたほうがよいでしょう。もうすでに覚えていて、書くことが苦痛で苦しんでいるのなら、早く終わらせることを認めてあげてもいいのです。
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