新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、いまなお外出自粛が求められているなか、宅配サービスの利用が急増し、多くの人が物流ネットワークの重要性を痛感しています。しかし物流は昔から、人々の生活と経済を下支えする重要な役割を担ってきたのです。本記事では、1914年の第一次世界大戦から1923年の関東大震災までの激動の時代における「物流」の歴史を紐解いていきます。

トラック事業に脚光が当たるきっかけは「関東大震災」

1923年9月1日。関東地方でマグニチュード7.9の大地震「関東大震災」が発生しました。

 

最初の大揺れの直後、東京では140カ所を超える場所で火災が発生し、3日間にわたり下町一帯が火の海に包まれました。地震による死者は10万5000人におよび、29万3000戸が焼失、家を失って路頭に迷う人も続出しました。

 

鉄道施設は全滅、線路も各地で寸断され、物資の輸送が満足にできない状態でした。

 

そこで活躍したのが、トラックです。関東各県から救援車が続々と集まり、不眠不休で支援物資を運び続けました。のちの復興資材運送などにも、トラックがその機動力を存分に発揮。一気にトラック業界に注目が集まり、それまで低空飛行を続けてきた業績が上昇しました。

 

そうした背景から、トラック事業でも十分に利益が出る状況が生まれた結果、関東大震災の年には2099台だった全国の貨物自動車は、1924年には8262台と、実に4倍以上に増加。

 

関東大震災という未曽有の悲劇は、トラック事業が物流の歴史の表舞台へと躍り出る契機となったといえます。

 

時代が昭和へと変わっても、トラックの快進撃は続きます。例えば愛知県では、名古屋市内を中心に少しずつトラック輸送が増え、木炭や石炭、日用雑貨などを運ぶようになりました。また一部の地方では、峠を越えて定期的に商品を運ぶ長距離トラック輸送がいくつか現れました。

 

1927年、鉄道局が推進してきた「各駅の中小運送業者の一本化」がさらに強化される形で、運送取扱人公認規定に替えて「鉄道省指定運送取扱人制度」が公布されました。新たな認定制度では、「一つの駅には一つの運送業者」しか認められません。

 

都会では輸送手段としてトラックが頭角を現してきていたのですが、大浜地区をはじめとした地方の多くでは、いまだ荷馬車や大八車も使って荷を運んでいました。時には犬に大八車を引っ張らせて、大豆やしょうゆ、みそなどを運んだこともあったそうです。

 

 

鈴木朝生

丸共通運株式会社 代表取締役

 

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※本連載は、鈴木朝生氏の著書『物流の矜持』(幻冬舎MC)より抜粋・再編集したものです。

物流の矜持

物流の矜持

鈴木 朝生

幻冬舎

大正3年、まだ大八車や馬車が物流の主な手段だった時代から、地域とともに歩み、発展を遂げてきた丸共通運。その歴史から、物流業界の変遷、日本の発展を振り返る。 丸共通運は大正3年に創業し、まだ大八車や馬車が物流の主…

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