みんなで心を一つにするはずが…合唱で起きた悲劇
全校生徒40人あまりだったが、なかなかまとまりがつかない。
さまざまな学校で経験を積まれてきた先生方からは、みんなで心を一つにするための手立て、方策が提示された。体育祭ではムカデ競走にダンスパフォーマンス、文化祭では全校合唱。松田聖子の『瑠璃色の地球』が選曲された。
体育館での練習には全員の先生が顔を揃え、何とも言えない緊迫感が漂っている。さすがに最初からは声が出ない。中学生にはありがちだが、やはり男子のほとんどは、口が開いていない。
英語科ではあったが、指導慣れした女性の先生の声が飛ぶ。
「もっと口を開けて」、「フラフラしない!」と、矢継ぎ早に体育館に響く。
私はどうにもこうした空気が苦手だ。自分が中学生の頃を考えても、ますますやる気を失うのではないかと気が気ではない。それでも練習が進むにつれ、声量が増してきて、きれいなハーモニーが響くようになっていった。そこはさすがだなぁと思えた。
文化祭当日には、先生や、聴きに来た保護者、地域の方々が満足できるくらいの立派な合唱に仕上がっていた。後日行われた生徒向けのアンケートに、「一体感を得られたのはどこでしたか?」という質問があった。
「伴奏のピアノが鳴り始めた時」「歌い出した時」「歌い終わって後奏を聴いている時」「合唱が終わって拍手されている時」などが挙げられた。その中で一番多かったのは、「歌い出した時」だった。
ところが、半数近くの生徒が、「一体感を得られた時はなかった」と答えていた。確かに、今ひとつ乗らない感じで、やはりほとんど口が開いていない生徒がいたようには見受けられたが、それにしても半数の生徒が、一体感を得られなかったというのだ。
また、「一体感」を得られた場面が人によって違っているというところが面白い。
一人の生徒が、「全校生徒が一体になったのは、この時だ……」と言っているのに、他の一人は、「いやいやそこじゃないでしょ、この時だよ……」と言っているようなもので、さらには、「全校生徒が一体になった場面なんかないでしょ!」と、半数の生徒が言っているわけだ。
果たして、「一体感」って何なんだろうか?
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小林 宣洋
1988年、東京学芸大学教育学部保健体育科卒業。2校での非常勤講師を経て、1989年東京都公立学校に新規採用される。14年間の教員生活の後に2年間休職し、京都で研究・修養に勤しむ。2005年、京都大学大学院教育学研究科臨床教育学専攻修士を修了し、公立中学校教員に復帰。2021年現在、市立中学校体育科教諭。
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