なぜ人間は「三角形」を判別できるのか?
六歳になって小学校に入る頃には、家を出たら親と離れ、学校で先生や他の生徒と数時間過ごし、無事家に帰ってくることができるようになる。感動もんである。
生まれてから、身の回りの世界を捉え始め、母や周囲の人とのやりとりの中で言葉を覚え、身体能力を伸ばし、家庭内や身近な社会のルールを覚え、自我他我を区別して、何々ちゃんが好きだったり、歌ったり絵を描いたりして楽しい等々、他者との交流や表現の喜びが味わえるようにまでなっている。
つまり、人間としての基本的な素養は、この頃までに身に付けている。であれば、意識や意思決定の基本的仕組みは、子供に何が起こっているのかを分析すればわかるはずだ。
■記憶されたパターン
何歳の時のことだったか定かで無いが、沢山の図形の中から三角を選別する、という作業をやることになった。しかしながら、三角といっても形はいろいろあり、正三角形以外の三角形を、即座に選別する能力を持っていなかった。
その後、これとあれが三角、こっちとあっちは四角とか三角ではない形、という学習指導を受けた結果、図形を見たら遅滞なく三角かを判断できるようになった[図1]。
これからわかるのは、ある言葉・概念とそれに対応する物事は、日々の活動の中で、記憶(メモリー)の中に一定のパターンとして編み込まれ更新されて行くということ。
もちろん、学習の最初の段階では、三角形という言葉の定義(まっすぐな棒が三つ繋がっている図形)を思い出して、その定義に従って、ある対象が三角形かどうか判断する、ということを行っていた。
が、多くの三角形を見ることで、じきに、目の前の図形と、三角形と紐付けて記憶されたパターンとの大雑把なマッチングが一瞬で可能になり、いちいち定義に戻って辺の数を数えることなく、三角形かどうか判断するようになった。
パターンマッチングで把握する仕組みは、言葉とそれに対応する物事に限った話ではない。人間は、世界の物事を、記憶したパターンで捉えている。目の前にある世界がいつもの世界として違和感なく現れる(捉えることができる)のは、記憶されたパターンから大きくズレていないから。
例えば、自分の机を一目見ただけで、違和感を覚え、誰かが机を触ったかどうかわかったり、身近な人の話し方の微妙な変化に、何か普通じゃないことが起こっていることを察知する。
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