140年以上も続く超長寿企業「鍋清」。1877年に創業し、第二次世界大戦を経てゼロから再出発し、その後もバブル崩壊や震災など多くの困難を乗り越えてきた。なかでも鍋清にとって戦後最大の危機となったのは1985年の「プラザ合意」。強烈な円高に見舞われ、「売れるのに儲からない、忙しいのに儲からない」という悪循環に陥った。鍋清はどのようにして戦後最大の危機を乗り越えたのか。現社長である筆者が、当時の「経営改革」を振り返る。

「円高時代で生き残るため…」売上至上主義からの脱却

経営改革が必要だ。プラザ合意後の円高による打撃を受け、そう思った私は、企画の立場から経営改革につながる案を練った。

 

営業利益が赤字転落した直接的な原因は円高だが、その影響を食い止められなかったのは会社の問題だ。大きな原因は、当時の鍋清が売上至上主義だったことだ。

 

改革の目的は、売上目標のみを見て突っ走る状態を変えることだ。そのためには、社員全員が会社の収益構造についてきちんと理解しなければならない。

 

仕入価格、粗利、最終利益などについて知る。何を、いくつ売ると、どれくらいの利益になるか分かるようになる。そのための手段として導入したのが、マネジメントゲームだった。

 

(※写真はイメージです/PIXTA)
(※写真はイメージです/PIXTA)

 

実は、マネジメントゲームの存在を知ったのはプラザ合意によって打撃を受ける前だった。

 

異業種交流のために参加していた愛知中小企業家同友会に勧められ、菊水化学工業最高顧問の遠山昌夫さんたちが立ち上げた青経塾(「青年経営者研修塾」)という勉強会に出席したときに、当時の塾長であったマスト21の横田眞さんがマネジメントゲームを紹介していた。

 

最初にゲームに参加したのは、三重県の長島温泉で一泊二日の泊まり込み研修を行ったときだった。

 

講師はマネジメントゲームを開発した西順一郎先生で、このときは、まさかのちのちの経営改革に役立つとは思ってもいなかったが、面白いし、役立つゲームだと思った。

ゲームに詳しくなるほど、経営がわかるようになる

マネジメントゲームは1976(昭和51)年にソニーに所属していた西順一郎先生らが開発したボードゲームだ。5~6人で一つのテーブルを囲み、それぞれが経営者となって会社を成長させる。一定の資本金を元手に、機械やコンピュータなど設備を導入し、従業員を雇い、保険に入って経営をスタートする。

 

事業を行う市場は全国に6ヵ所あり、市場ごとに、材料の仕入れ単価、販売価格の上限、マーケットボリュームが決まっている。

 

そして、参加者が経営する会社は各市場で材料を仕入れて製品を作り、それをまた各市場で売る。ゲームでは、テーブル中央に置いたカードを順に引き、設備投資、採用、材料購入、商品販売、研究開発、広告などの経営判断を行っていく。

 

経営の向かい風になるカードが出ることもある。仕入れや販売は参加者が入札して決める。ここでは競争原理が働き、利益を増やすには自社と競合相手の関係を意識した戦略が必要になる。リスク要因や販売不振などが原因で資本金が底をつけばそこで倒産だ。

 

このようなやりとりを通じて事業を続け、一期分が終わったら、手元の現金や資産、在庫などを数えて決算書を作る。

 

次の期も同じメンバーで対戦してもよいが、通常は10人以上の参加者が集まり、期ごとの業績に応じて対戦相手を入れ替える。

 

メンバーが変わると競合相手の戦略が変わるため、そこでまた新たな戦略が求められるというわけだ。

全社員が経営を意識して働く…経営者の「理想」を実現

競争相手と鎬を削りながら経営判断を重ね、決算書を何度もまとめることで、自然に経営者マインドが身につく。社員が経営者役となって考えることにより、社員一人ひとりが経営を意識した働き方ができるようになる。

 

マネジメントゲームを作った西先生は、その状態を「全員経営」と表現した。

 

マネジメントはまさに全員経営を実現する最善のツールであり、そのために作られたゲームであった。全員経営は多くの経営者が取り組んできた普遍的な経営課題だ。

 

松下幸之助さんの「衆知を集めた全員経営」も、稲盛和夫さんの「アメーバ経営」も、根底にあるのは全員経営の考えであるし、近年ではユニクロの柳井正さんも「グローバルワン・全員経営」と言っている。

 

私も「全員経営」の考え方に興味を持った。鍋清に改革が必要だと思ったとき、「全員経営」が解決策になると直感した。トップだけでなく現場社員も経営者マインドをもつ。

 

そのような組織に変わることで、それぞれが自分の持ち場や担当業務について自分で考え、自ら行動できるようになる。強く優秀な個人が増え、その集合体として会社が存在することで、会社そのものも強くなるのである。

 

余談だが、研修プログラムとして導入している企業も多く、大手企業を中心に約4000社、80万人が研修に参加しているのだという。海外でも導入実績がある。国内では、ソフトバンクの孫正義さんがよくマネジメントゲームを社内でやっていたという話もある。

「ゲーム感覚でこうも効果的に経営が学べるとは」

勉強会では、初日に3期分の経営を行い、期ごとに決算書を手書きでまとめた。その日の夜は、翌日に行う2期分の経営計画を立てた。

 

私は初めての参加だったため、勉強会内の知人にやり方を教えてもらいながらゲームを進めていった。知人はすでにゲームに詳しかった。

 

ゲームに詳しいということは、経営が分かっているということだ。

 

「ここが固定費だろう。それで、これが最終利益。ということは、売値を1割下げると利益がこれだけになってしまうということだ」

 

知人が言う。分かりやすい説明を受けながら、自分が経営の「け」の字も理解していないことを実感した。同時に、ゲーム感覚でこうも効果的に経営が学べるものなのかと驚いた。

 

「売値は重要だよなあ」

 

私がそう呟くと、知人は大きく頷いた。

 

「そうだな。安値で叩き売っても利益が伸びるとは限らない。いくらで売るか、いくら値引くかは粗利に大きく影響するんだ」

 

そんな会話をしながら、値付け(プライシング)の重要性を理解した。営業利益が赤字になったとき、売上至上主義に問題があると思ったのも、このときの経験があったからだと思う。

経営改革では、真っ先にマネジメントゲーム導入が決定

「経営改革が必要だ」

 

ぼんやりとそう思ったときから、私はマネジメントゲームを導入しようと思っていた。改革のコンセプトとして「全員経営」というキーワードが浮かぶと「マネジメントゲームを研修プログラムとして導入しなければならない」という思いが強くなった。

 

「任せる。やってみてくれ」

 

父も叔父も、すんなりと私の提案を受け入れてくれた。「所詮、ゲームだろう」とか「室内で研修するより外に出て売ったほうが良い」といった反論を想定し、反論の反論まで考えていたが、実際には使うことなく実施が決まった。

 

おそらく、父も叔父も現状の延長線ではどうにもならないと思っていたのだろう。とはいえ、ほかにどうすれば良いのかも分からない。マネジメントゲームについてどこまで理解していたかは分からないが、仮にゲームのレベルのものだったとしても、現状打破のきっかけになるならやってみる価値はある、そう判断したのだと思う。

 

このような短い会話を経てマネジメントゲームを使う経営研修プログラムを行うことが決まった。

全社員が没頭…全国から見学者が集まる「名物研修」に

経営側は簡単に納得したが、現場はどうか。日々の売上を追っているなかで、目先の売上にならない研修に価値を感じてもらうのは難しい。

 

そこで私は、古巣である光清(鍋清の子会社。筆者の最初の配属先)の幹部である小林弘宣さんと経理部長の島袋伝一さんに相談することにした。

 

二人は光清社内だけでなく鍋清でも影響力を持っている。新しいことに挑戦する鍋清の社風が染み付いているし、光清は鍋清本体より規模が小さいため、実験的に導入するのも簡単だ。

 

そう考えて打診すると、二人とも喜んで協力してくれた。二人の意識として「なんとかしなければ」という危機感もあったのだろうと思う。二人は、研修プログラムとしてマネジメントゲームを導入している企業の見学にも一緒に行ってくれたし、そこで研修としての価値を感じてくれたこともあり、期待したとおり、他の幹部にも推薦し、導入に向けた説得も手伝ってくれた。

 

まずは営業社員を5、6人選出し、名古屋市内でマネジメントゲームの研修を行っている会社に派遣して、研修を受けてもらった。

 

おおよそ一巡したところで、2ヵ月に1回くらいのペースで会社に外部のコーチを招き、マネジメントゲームを行うようにした。

 

しばらくすると、外回りなどから戻ってきた営業担当者が数人のメンバーを選び、業務終了後にマネジメントゲームを1期分だけやる光景が頻繁に見られるようになった。

 

部署別では、経理や総務など間接部門の社員にも順次、マネジメントゲームの研修を広げていった。

 

マネジメントゲームの達成度を社員別に記録して、何期分やったか、結果はどうだったかといった順位を付け、社内に張り出した。

 

社長や幹部が後押している研修とはいえ、突き詰めていえばゲームだ。これだけ真剣にゲームに没頭した会社はそう多くないと思う。

 

ちなみに、当社のマネジメントゲーム熱は地域でもよく知られるようになり、1988(昭和63)年には、マネジメントゲームを使う社内研修に積極的だったミツワ印刷、ブラザー印刷の2社から、一緒に事務局をやらないかと声が掛かった。

 

3社でマネジメントゲームの研修を行う「愛環塾」という勉強会を立ち上げるという話だった。話を受けたのは私で、ちょうど自分の結婚式の1週間前のことだったので、よく覚えている。正直、不安はあったが喜んで参加することにした。

 

「愛環」は、当時、岡多線(岡崎~多治見間)が第3セクターとして「愛知環状鉄道」と名前を変えてデビューし、「愛環」の略称で呼ばれていたのにちなんだものだ。中心メンバーであるミツワ印刷が瀬戸、ブラザー印刷が岡崎にあり、いずれも愛知環状鉄道の沿線だった。

 

その後、3社の全社員を巻き込んで経営研修などを行い、その事例を見学に全国から大勢の人が集まった。愛環3社による名古屋のマネジメントゲーム研修は1988年から20年くらい続いたが、2社が抜けて当社だけが残った。その後も10年ほど続けたが、一昨年、残念ながら手を引くことになった。

 

 

加藤 清春

鍋清株式会社 代表取締役社長

 

 

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本連載は加藤清春氏の著書『孤高の挑戦者たち』(幻冬舎MC)より一部を抜粋・再編集したものです。

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幻冬舎メディアコンサルティング

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