景気はどん底だったが、鍋清の経営状況は安定
どういう巡り合わせか、それとも単なる偶然か、私は日本経済がどん底の状態にあった1998(平成10)年12月に、鍋清の五代目社長に就任することになった。
突然の社長就任だった。それもそのはず、父がまだまだ社長を続けると思っていたからだ。しかし、体調を崩して入院し、5日目に急逝した。84歳だった。
「社長、事業計画の確認をお願いします」
「社長、来週の定例会議についてお知らせします」
社員が私を社長と呼ぶ。社長なのだから当たり前なのだが、しばらくの間、違和感が拭えなかった。
鍋清の歴史から考えて、私はいずれ社長になるのだと思っていたし、ふとしたときに「五代目」と呼ばれることもあった。しかし、社長になると「思っている」のと、実際に「なる」のとでは大きな差がある。
「私の判断で鍋清の未来が変わる」
「すべての経営責任を背負っている」
そんな思いが頭に浮かび、重圧を感じた。あのときの違和感はきっと過去に背負ったことがない重圧によるものだったのだろう。あるいは、ついさっきまで近くにいて、何かあれば相談できた父がいないことが原因だったのかもしれない。
会社を引き継いだときに「ありがたい」と実感したのは、国内経済が金融危機に苦しんでいるなかでも、鍋清経営状態は決して悪くなく、むしろ安定していたことだった。
業界環境には不安がある。鍋清が好調でも、取引先が苦しければ仕事は発生しないため、自分たちさえ大丈夫ならそれでよいとも思わない。ただ、不良債権化する土地や株の含み損など、悩みのタネとなるようなものはないほうがよい。
父の他界は急だったが、きれいな形で事業を渡してくれた。次の世代に悩みごとを残さないという点で、父の引き際はすばらしいと感じた。経営者は日々の業績のことだけでなく、事業承継のことや、その後の会社の成長までしっかり考えなければならないのだなと思った。
「ニッチな商品」の「専門商社」ゆえに事業展開で苦戦
このとき、鍋清の未来を示唆するビジョンはなかった。日々の業務では、マネジメントゲームで経営マインドを鍛え、マイツールを使って収益を伸ばしている。「戦略MQ会計」※の導入と定着も地道に進んでいる。
重要なのは、その先を考えることだった。経営の役割が会社の舵取りであるとすれば、会社として進んでいく方向を示さなければならない。
社長に就任してからしばらくの間、私は鍋清の将来について思いを巡らせ、新しい道を模索した。
新たな柱となる事業はどんな事業か。新たな顧客を探すために、どんな分野に注目するか。新たな成長を実現するために、会社のどこを改革すればよいか。それらを課題に掲げて考えていたが、なかなか「これ」という答えは見つからなかった。
鍋清はベアリングというニッチな商品を扱っている。ニッチな商品であるから関連商品を増やすにしても限界があるし、広がりが期待できない。
また、専門商社として商社の機能はもっているが、総合商社のようにあれもこれも扱うわけにはいかない。専門商社は、ここという分野で専門性を発揮できるから価値があるわけで、専門外の商品を扱っても勝ち目はない。
ベアリングの専門商社としては業界内でそれなりの地位を確立できたが、次の一歩を、どこに、どの方向に踏み出せばよいか分からなかった。
※企業が利益を上げていくための会計理論のこと。「戦略MQ会計」は、考案開発された西順一郎先生の会社、株式会社西研究所の登録商標です。
「顧客のニーズ」から新規事業のヒントを発見
「さっそく行き詰まったかな」
そんな不安が膨らんだ。そんな状態のときにヒントをくれたのは、鍋清の子会社「光清」の顧客だった。光清はかねてから小型ベアリングを主力商品としていて、当時はストックをもって顧客に納品する事業モデルを展開していた。
ストックをもつのはリスクだが、納入スピードを早めることができ、急な需要にも柔軟に対応できる。それが光清の強みであり、顧客からも評価されていた。ただ、新規顧客の獲得や販路拡大は難航していた。
ベアリングが機械部品としてコモディティ化していくなかで、「小型ベアリングの専門商社」という価値も徐々に下がっていたのだ。
「取り扱っているのはベアリングだけか。それなら光清さんじゃなくてもいい」
営業で訪れた会社から、そんなふうに言われることが増えた。ベアリングを買いたいが、ほかにも買いたいものはある。買い付けの手間を考えると多様な商品を扱っているところと取引したい、というわけだ。
「例えば、どんな部品が必要ですか」
私は営業先の会社でニーズを聞いて回った。答えは相手がもっていると思ったからだ。
「そうだなあ、ベアリング単体ではなくて、あらかじめアッセンブリにしてくれたら助かるよな」
アッセンブリは、小型ベアリングを樹脂(プラスチック)や金属などにセットした部品のことだ。簡単にいえば、ベアリング内蔵の部品である。
「なるほど。うちから納品したベアリングは、最終的には御社でアッセンブリにするわけですからね」
「そう。それが結構な手間でね、樹脂や金属もその都度買わないといけない。時間も工数も掛かる。組み込み部品があるなら、ベアリングではなくてそっちを買いたい」
そのようなニーズを聞き、さっそく対応を考えた。アッセンブリ関連として光清はアルミなどの部材を扱っている。ただ、材料として売っているだけで、ベアリングとアルミを買った顧客が、自分で自社仕様のアッセンブリを作る。
「うちで作るか」
そう提案すると、役員も部門長も乗り気だった。
「何かやらないといけない」
「新しいことに挑戦しないといけない」
そんな危機感があるときは決断も早い。すぐに話がまとまり、アッセンブリ事業をスタートすることになった。
製造業は、先代社長が「手を出すな」といった事業領域
専門商社としてベアリングを扱う鍋清は、顧客の声をヒントにアッセンブリ事業の開始を決めた。
アッセンブリ事業の内容は、顧客の要望を聞き、社内で図面を起こし、必要な部材は外注して、社内で組み立てるというものだった。顧客の要望を聞くのは、顧客によってアッセンブリの形状や性能が異なるためだ。
このときから、鍋清は商社という事業形態から少し外に踏み出すことになる。商社機能は維持しつつ、自社で商品を作る製造の機能ももつようになったのだ。
実は、先代の社長であった父からは「製造には手を出すな」と何度も言われていた。そのことは私だけでなく、鍋清の幹部も光清の幹部も知っていた。製造の事業を遠ざけていた理由はおそらく事業としてのリスクが大きいからだろう。
製造機能をもつためには、当然ながら設備投資が必要になる。そこで融資が発生する。製造技術が進化すれば、せっかく導入した高額の設備が使えなくなる可能性もある。そう考えると、確かに製造業への参入はハードルが高い。
父は祖父たちとともに鋳造業をしていた三重県の富田町から名古屋に「夜逃げする」ようにして移転してきたことを知っている。そのときの経験を通じて、ものづくり事業で失敗する危険性を強く認識していたのかもしれない。
ただ、アッセンブリについては父の指針に背いてでも、挑戦する価値があると思った。幹部たちの気持ちも同じで、鍋清の次の成長を実現するために、商社から製造という一線を踏み越え、挑戦しなければならないと思っていた。
「殻を破ろう」
そう決めて、設計部と製造部を組織することにした。社長となって初めての大きな経営判断だった。
加藤 清春
鍋清株式会社 代表取締役社長
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