ジョブローテーションは「経営実態」を知る絶好の機会
1978(昭和53)年、将来の5代目社長として家系的に「内定」していた私は、大学を卒業した後、自然と鍋清に入社することになった。
最初の配属先として、できたばかりの小さな子会社「光清」で3年半ほど過ごし、私は鍋清に戻ることになった。配属先は短期で転々とし、業務部、経理部、営業企画部を順に経験した。いずれも会社と事業について学ぶ良い機会になったと思う。
業務部では会社の事業の基本的な流れを学んだ。経理部では財務を勉強し、企業経営におけるキャッシュの重要性を実感した。営業企画部は新規事業を考え、実行していく部署だ。ここではモーターやOA機器の販売を通じてベアリング以外の新分野の開拓に挑み、つくづく難しいものだと感じた。
どんな仕事でも専門性が求められ、専門性の高さが成果を生む。それは事実だと思うのだが、専門性を高める前に、会社や業界全体について理解を深めることが大事だと思う。複数の部署を転々とするジョブローテーションはまさにそのための機会として最善ではないか。
経理の専門性を高めるにしても、業界によって健全な財務状況の条件が違う。仕入れのプロを目指すなら、販売現場でどのように売られ、どれくらいの利益を生んでいるか知っているほうが良いし、営業のプロを目指す場合も、仕入れの価格や状況を知っているほうが良い。「原価はこれくらいが理想」「粗利はこれくらいあると良い」など、教科書的な条件はいろいろある。そのような知識は本を読めば身につく。
しかし、自分の会社に照らし合わせながら考えなければ机上の空論で終わってしまう。
学んだことを確実に役立てるためにも、知識と技術を高めるだけでなく、会社や業種の実態を知ることが大事だと思う。知識と技術を軽んじているわけではない。それらを習得することに意識を向け過ぎると、経営の実態と乖離が大きくなるということだ。
円高で「売っても売っても儲からない」事態に転落
知識と技術に頼り過ぎてはいけない。何よりも大事なのは現実であり、現実の経営ではたまにとんでもないことが起きる。そう実感する事態が起きたのはそれからすぐのことであった。
鍋清に戻って4年が過ぎた1985(昭和60)年、ドル高是正のため先進5ヵ国(日・米・英・西独・仏)の大蔵大臣と中央銀行総裁がニューヨークのプラザホテルに集まり、いわゆる「プラザ合意」が成立した。これにより、参加各国は外国為替市場でドルを売り、自国通貨を買うと協調介入を一斉に行った。その効果は絶大で、ドル円相場は急速な円高になり、日本経済は大混乱に陥った。
特に影響が大きかったのは対米輸出で大きな利益を上げていた自動車や工作機械のメーカーだ。輸出が急激に減り、原価削減に取り組む。
材料を提供している鍋清もその影響を受け、ベアリング価格の引き下げ要請が相次いだ。経営企画室長になっていた私は、現場の実態を把握するため、営業担当者などに頻繁に話を聞きに行っていた。
「5%、10%の話ではないんです」
営業担当者が泣きそうな顔をしてそう言った。
「需要はどうですか」
私が聞く。
「需要はあります。ただ、値引きの嵐です。とりあえず安くしてでも売り続けて、どうにか売上をつくるしかありません」
担当者はそう言い残し、薄利を求めて外回りに出て行った。
「値下げ要求が止まらない」
「安くても売るしかない」
そんな状態がしばらく続いた。しばらく経てば鎮静化し、円高も落ちつくのではないか。そんな淡い期待をしていたが、現実は厳しかった。円高は止まらない。値引き要求も止まらない。ついには「営業歩けば値引きに当たる」と自嘲気味に笑う営業担当者も現れた。笑っている場合ではないのだが、笑うしかなかった。
結局「売れるけど儲からず」「忙しいのに儲からない」状態から抜け出す術が見つけられないまま、この期は営業赤字に転落した。
保険の解約などで最終損益はどうにか黒字を維持したが、円高という自分たちの力ではどうにもできない外部要因の影響で、鍋清を支えてきた商社型の事業モデルが限界に達していた。
売上至上主義がもたらした「儲からなくて当然」な営業
あとから分析して分かったことなのだが、この年の粗利率は前年比で3ポイントほど低下していた。
値引きしているのだから当たり前なのだが、そのことすら、当時は誰も指摘できず、そこに問題があることすらきちんと把握できている人はほとんどいなかった。営業利益が赤字転落した直接的な原因は円高だが、その影響を食い止められなかったのは会社の問題だ。
大きな原因は、当時の鍋清が売上至上主義だったことだ。
営業は売上目標を達成しようとする。値引きしてでも売上をつくろうとする。こっちの会社には値引きする一方で、あっちの会社は定価で売るというわけにはいかない。そのため、あちこちから値引き要求を受けることになり、忙しさが増す。売っても売っても儲からない状態になる。値引きが値引きを呼び、忙しさが忙しさを呼ぶような状態だ。
営業現場だけでなく、経営計画においても売上がすべてだった。
本社ビルでは、営業部のデスクが並んでいるフロアの一番奥で、営業の責任者でもあった専務の清作が、日々の売上日報を待っている。
当時の日報はカーボン紙の複写式で、当日の売上数字を記入し、複写したものをひもで綴じ、専務のところに持って行く。専務は全員分の売上数字をチェックし、確認を終えて退社する。
そのような日常が当時の鍋清の当たり前だった。会社全体が売上の数値目標を意識しているため、経営は売上を見て、営業は目標達成のために走り回るしかなかったのだ。
生き残る会社になるため「利益重視の経営」へ転換
売上至上主義は、利益を軽視した営業と言い換えてもよいだろう。
本来であれば「一つ売っていくら儲かるか」を考えなければならない。売上を伸ばすことより利益を伸ばすことを考える必要がある。しかし、当時は原価や利益率を気にする人は社内にほとんどいなかった。理屈では利益が大事なのだと分かっているのだが、その理屈は、経営計画にも営業方針にも反映されていない。
それまでの鍋清は、売上を増やせば利益も自然に伸びていたため、わざわざ利益について細かく言及する必要がなかったのだ。プラザ合意からの強烈な円高は、このような構造では通用しないことを証明した。売上を伸ばしても利益は簡単には伸びず、むしろ減る可能性もある。
この状態から抜け出すには、売上ではなく利益を見る経営に変わらなければならない。売上一辺倒でやってきた社員のマインドを変え、円高が当たり前の時代で生き残る会社に変わらなければならなかった。
加藤 清春
鍋清株式会社 代表取締役社長
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