新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、ステイホームが呼びかけられる昨今。通販などのサービスを利用することが増えた方も多いのではないでしょうか。加えて、東日本大震災や熊本県を中心に襲った豪雨を受けて、物流ネットワークの重要性にも近年注目が集まっています。本連載では、「物流」の歴史を紐解きながら、物流会社がどのような役割を果たしているのかについて見ていきます。今回は江戸時代から明治初期までの変遷を中心に解説します。

「馬に引かれて帰ってくる…」未熟だったトラック輸送

鉄道網が全国に広がるなか、産声を上げたのがトラック輸送です。

 

順調に勢力を拡大させていく鉄道と比べると、トラック運輸の幕開けは相当な難産だったようです。

 

当時、海外ではすでにトラックが走り、ドイツやイギリスなどからの輸入車として日本へとやってきました。

 

それを受け1906年には、東京を中心に小田原、宇都宮、熊谷、千葉という広域でトラックによる運送を行うというプランのもと、京浜運送株式会社の創立計画が持ち上がりましたが、構想があまりに大きすぎたせいか、賛同者が得られずにとん挫しています。

 

トラック会社の第一号として帝国運輸株式会社が発足したのが1907年。しかし荷馬車全盛の時代には自動車輸送に適した貨物が少なく、加えて車両の故障も頻発して稼働効率がまったく上がらず、結局同社は1911年に解散しています。

 

ほかにも東京明治屋がトラック2台を購入して商品運搬を始めたり、内国通運が貨物自動車による営業を開始したりという動きはありましたが、全国的に普及するには至りませんでした。

 

なお、1911年には日本初の国産貨物自動車も誕生しています。製作したのは大阪府大阪市にあった大日本帝国陸軍直属の軍需工場「大阪砲兵工廠(おおさかほうへいこうしょう)」で、当時は「自働車」と記されていたそうです。

 

トラックの全長は1.5メートル、積載量1.5トン、ガソリンエンジンを搭載し、最高時速24キロメートルでした。その試運転が行われたのは、4月4日。大阪砲兵工廠の門を出発し、大阪城まで行って帰ってくるという2キロメートルほどの行程でしたが、平均時速5キロメートルで走ったにもかかわらず、復路で故障、馬に引かれて帰ってくるという散々な結果だったようです。

 

このような度重なる困難を経て、日本の運送業は日々発展してきたのです。

 

 

鈴木朝生

丸共通運株式会社 代表取締役

 

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    ※本連載は、鈴木朝生氏の著書『物流の矜持』(幻冬舎MC)より抜粋・再編集したものです。

    物流の矜持

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    鈴木 朝生

    幻冬舎

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