父が亡くなり「年金月7万円」で生活する75歳母、1年で骨と皮に…年収490万円、51歳長男がくだした「決死の決断」【FPの助言】

父が亡くなり「年金月7万円」で生活する75歳母、1年で骨と皮に…年収490万円、51歳長男がくだした「決死の決断」【FPの助言】
(※写真はイメージです/PIXTA)

現代人にとって「何歳まで働き続けるか?」は人生を左右する重大な問題です。特に、60歳以降の生活水準やライフスタイルに大きな影響を及ぼします。近年は年金が目減り傾向にあるなか、定年退職の原則年齢である60歳以降も働き続けるシニアが増加しています。仕事は賃金のみならず、達成感や社会と繋がる幸福感……多くのメリットをもたらしますが、それは働ける健康な身体や環境があってこそ。働くことができず、老後資金が底をついてしまった人はどうすればいいのでしょうか? 本記事では、波多FP事務所の代表ファイナンシャルプランナーである波多勇気氏が、老後お金に困らないための対応策と生活が苦しくなった際に利用できる制度について、自営業の夫を亡くした「おひとり様高齢者」の75歳女性を例えに、シミュレーションして解説します。

夫を亡くし「おひとり様高齢者」となった、75歳女性のハルコさん

今年75歳(1949年生まれ)を迎えるハルコさんは高校を卒業後、実家が家族経営する「はんこ屋さん」の手伝いをしていました。ハルコさんの父親は印鑑職人で受注制作を担当。ハルコさんは店頭に立って品出しをしたり、会計をしたり、帳簿をつけたりする販売や経理業務などが担当です。

 

その後21歳を迎え、商店街で「洋食屋さん」を営む5歳年上の料理人・ナツヲさんと結婚します。結婚と同時にハルコさんも「洋食屋さん」のお店に立ち、注文をとったり、会計をしたりなど、お店の運営に携わるように。

 

「はんこ屋さん」では主にレジの前に座ってましたが「洋食屋さん」では常に店内を動き回って料理を運んだり、絶えず声を上げてお客さんに挨拶をしたり、厨房にオーダーを通したりするため、結婚当初は毎日クタクタに。ですがすぐに慣れ、24歳のときに生まれた長男、27歳のときに生まれた次男の2人を、お店に立ち続けながら見事に育てあげました。

 

2人の子どもたちは大学を卒業後に独立し、ハルコさん夫婦は再び2人暮らしに。さらに時は流れ、ナツヲさんは65歳となり、年金受給が始まります。会社勤めの同級生たちは続々と仕事を引退していきますが、お客さんの笑顔を見るのが大好きなナツヲさんは「この腕が動く限りは、店を続けたい……」と、その後もフライパンを振りつづけます。

年金受給から9年。ナツヲ74歳、ハルコ69歳ついに洋食屋を閉業

時は流れ、ナツヲさん74歳、ハルコさん69歳を迎えたときーーついに高齢化を理由に店を畳むことを決意します。世帯収入は年金のみになりました。

 

自営業のナツヲさんとハルコさんがもらえるのは国民年金のみです。2人合わせて、13万5,616円で暮らし始めます。

 

国民年金満額 67,808円 × 2 = 13万5,616円

 

(令和6年4月分からの年金額、昭和31年・1956年4月1日以前生まれの方の金額を参考に計算)

※参考:令和6年4月分からの年金額等について|日本年金機構 

 

ところが1年前、ナツヲさんは胃がんを患い他界。79歳の生涯に幕を閉じました。遺族年金の受給者に該当しないハルコさんは自身の年金約6万5,000円と100万円の貯金で暮らすこととなります。

※参考:遺族年金|日本年金機構

 

持ち家があるとはいえ、ハルコさんは生活費の少なさに愕然とします。年金以外の収入を得るために仕事を探し始めますが、長年立ち仕事に従事してきたハルコさんは膝が弱く、料理を運び続けた腕の関節は痛み、アルバイトの面接に行くだけでクタクタです。

 

「気づいたら私ももう74歳、来年は立派な後期高齢者……。前みたいに働くことはもうできないわ……」と悟ります。

 

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