新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、ステイホームが呼びかけられる昨今。通販などのサービスを利用することが増えた方も多いのではないでしょうか。加えて、東日本大震災や熊本県を中心に襲った豪雨を受けて、物流ネットワークの重要性にも近年注目が集まっています。本連載では、「物流」の歴史を紐解きながら、物流会社がどのような役割を果たしているのかについて見ていきます。今回は江戸時代から明治初期までの変遷を中心に解説します。

私鉄の開通…貨物輸送が本格的に稼働するように

1874年には大阪―神戸間の鉄道が完成。翌年に新橋―横浜間で小荷物の受諾が始まりましたが、路線が限定された鉄道による輸送はまだまだ小規模で、鉄道が日本の物流の覇権を握るのは、もう少し先の話です。

 

当時一気に発展したのが、馬車による輸送でした。鎖国が解かれ、西洋式の馬車が持ち込まれたこと、そして明治政府の道路改修により陸路が整ってきたというのが、その背景にあります。

 

東京―高崎間で荷を運ぶ高崎運輸馬車会社が発足したのを皮切りに、東京―宇都宮間、東京―八王子間、京都―大阪間で馬車会社が続々と営業を開始。陸運元会社も、社名を「内国通運会社」と改め、東京―熱海間の長距離輸送を鉄道より一足早く実現しました。

 

その後1881年には、東京―大阪間が馬車で結ばれました。その時点での東京―大阪間529キロメートルの所要日数は7日間に及んだといいます。

 

馬車のほか、蒸気船による運送も発展しました。利根川では、蒸気船「通運丸」が配置され、以後、鉄道や自動車が普及するまで50年にわたり、関東地方における欠かせない輸送手段となりました。

 

1890年代に入ると、日清戦争などの国外進出政策と連動する形で、鉄道や港の建設など国内の輸送施設が整備されていきました。

 

横浜港が一新され、国際貿易港としての体裁が整ったのもこの頃です。

 

ただし、まだまだ欧米諸国の輸送の水準には程遠かったよう。当時、東京の中心である日本橋の上で行われた交通調査によると、午前9時から10時までに橋の上を通ったのは、人力車223台、鉄道馬車(馬が線路の上を走る車を引く鉄道)29台、荷車26台。自動車はおろか自転車すらもまだ普及していませんでした。ちなみに日本初といわれる電気自動車が登場したのは1900年で、サンフランシスコ在留邦人会から、皇太子(大正天皇)の成婚を祝して献上されました。

 

自動車の普及など程遠い状況において、日本の近代化を一気に推し進めた要因の一つが、1900年前後に各地で私鉄が開通したことでした。

 

関西鉄道線の大坂―名古屋間、九州鉄道線の門司―長崎間、北陸鉄道の敦賀―富山間、北越鉄道の直江津―沼垂(ぬったり)間などが続々と開通し、私鉄の開業路線は4500キロメートルまで伸びました。また、日本鉄道が内国通運などの運送会社と提携して内地向け北海道貨物の輸送を開始し、貨物輸送が本格的に稼働し始めました。

 

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    ※本連載は、鈴木朝生氏の著書『物流の矜持』(幻冬舎MC)より抜粋・再編集したものです。

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    鈴木 朝生

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