予備校講師が語る、医学部受験「合格者・落第者」の差
筆者は予備校講師である。河合塾他複数の塾・予備校の講師を経て現在は代々木ゼミナールで現代文、小論文を担当しており、キャリアは通算で26年になる。
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医学部を目指す浪人生達とは、主に共通テスト(旧センター試験)や東大・京大をはじめとする一部難関国公立大医学部二次試験の現代文講義、そして医系小論文の指導を中心に向き合ってきたので、添削等を通じて比較的多くのやり取りをしてきたと思う。
また、東日本大震災以降、ボランティアを通じて福島県立相馬高校とご縁をいただいたのをきっかけに、福島県内、そして今では全国あちらこちらの地方公立高校に出張して現役の高校生たちの指導に当たるようにもなり、予備校生に限らず多種多様な大学受験生、医学部受験生達と接点を持つ機会に恵まれている。
そんなかたちで医学部受験生達に寄り添っていると、数年前までは「なんでこの子が不合格で、あの子が合格なんだろう?」というケースに出会うことがしばしばあった。当時の筆者にとってみれば医学部受験には「不思議の勝ち」も「不思議の負け」もあったのである。
しかし、ここ数年で受験生の性別、年齢、出身地等を加味していることを非公表のまま選抜を行う大学が少なからずあったことが明らかになってきたので、現在ではその「不思議」は解消されている。
そのあたりの現状を掘り下げることができればそれも興味深いことだが、今回はそれには触れない。また、逆に、学力テストのみを基準にした選抜が本当に公平で、ベストなものと言えるのかどうかについての議論も行わないこととする。浪人経験が人生にとってプラスになるのか、時間の無駄になってしまうのかといった話にも踏み込まない。
ここでは医学部に現役合格する生徒と浪人する生徒、また浪人生活を比較的短期間で終える生徒とそうでない生徒に多く見られる「差」について、筆者なりに見てきたこと、感じたことをそのまま書いていきたいと思う。
受験勉強のスタート時期を「自分で決める」重要性
受験勉強の成果が「本人の能力」×「勉強量」×「勉強の質」によって決まってくると考えるならば、「勉強量」を確保する点で受験勉強のスタート時期も早いに越したことはない。
近年の医学部、殊に難関大医学部合格者が都市部中高一貫校出身者に偏っている理由の一つに、相対的に受験準備を早く始めていることが挙げられるのは間違いないであろう。
逆に、浪人が決まって予備校にやって来た生徒たちにそれまでの受験勉強の話を聞いてみると、能力の問題以前にやはり「スタートを切る時期が遅かったね」というケースが多い。しかし、ここで言う「スタート地点」についてはもう少し説明が必要だ。
自分の能力や思い描いている将来等を考えて部活動と受験勉強との両立の仕方や部活動の引退時期を自分の頭で考えるスマートな生徒がいる。実際には昔からいたのだろうが、そのような個人のあり方が認められやすくなってきたからか、最近の方が多くなっているように感じる。もちろん個々が自立的に考え行動するぶん悩みや葛藤を抱えることにもなるが、それも込みで自分の頭で考える。
「だから部活の早期引退を認めてやればよい」というような話がしたいのではない。自分の身体で経験し、自身を知り、自分の頭で考えて受験準備のスタートの仕方を決定することの重要性を言っているのだ。
理想的な「スタート地点」は必ずしも「早ければ早いほどよい」というものではない。自分の性格や生き方に応じて決めるものである。
単に医学部に合格したいだけであれば、何も考えずに早い段階から塾に通い、周囲と同じペースで早期に受験準備を進めておけばそれだけ有利になるのは間違いない。
しかし、その先の生き方、学び方のことを考えるなら自分の受験勉強の「スタート地点」の時期やあり方は自分の頭を使って考え、たとえば「塾を利用する」といったことも含めて自分で決められるようにしておきたい。
その際周囲の環境が大きく影響する面ももちろんあるし、本人がまだ幼すぎる場合、親の判断でスタートを切らしてやるのも戦略のひとつではあろうが、不本意なかたちでの浪人を繰り返しながらなかなか結果を出せない生徒や医学部には合格したもののそこから伸び悩み、苦しんでいる学生を見ていると自分の頭を使って考える力の欠如を感じることが多い(それでも「東大に受かってはみたものの」よりは「医学部に受かってはみたものの」のほうが救いになっているケースが多いので、それだけでも医学部受験を「させる」価値はあるのかもしれないが)。
「うっかりミスをどう防ぐ?」に合格者はどう答えるか
浪人生の中にはちょっとした頭の良さがあるゆえに苦戦している生徒が少なくない。彼らが決まって言うことばが「1回やったのに覚えられない」と「うっかりミスをしちゃった」のふたつだ。
ちょっとした頭のよさがあると、そこそこのレベルまでの高校入試や定期テスト程度の分量であれば一度やれば覚えられる。その「成功体験」が、短時間の学習を地道に繰り返し、大量の知識を長期記憶として身につけ、定着させる学習から彼らを遠ざけてしまうらしい。
彼らは概してすきま時間を活かした反復学習が苦手である。「1回やれば覚えられる」という幻想があるため「時間があるときにまとめてやってしまおう」という発想になるようだ。地方公立校出身者として私自身も少し悔しく思うが、ここにも中学受験組が有利になっている点がある。中学受験時に膨大な知識や難解な問題の理解を求められるため、そこで「繰り返しの中で身につける」という経験を持っているからだ。
「うっかりミスをしちゃった」も同じことが言える。アウトプットする能力もそれ自体をインプット、つまり身につけるためには通常一定程度の反復練習が必要だ。
しかし、たとえば計算ミスをよくする子に「どう対策するのか?」と問うと皆が「次から気をつけます」と答える。「毎日少しずつ計算練習します」とは言わない。「本当はできる」と思っているからだ。
彼らの本当の「うっかり」は、そのミスを克服するには反復練習が必要であることに気がついていない点である。
受験合格者の真の武器は「自分で考えて工夫した経験」
「予備校講師の立場から本音で語る」ということでネガティブな側面からの話題に偏ってしまったが、私個人の視点から言えば今の受験生達は昔と比べてずいぶんスマートになったような気がする。
自分の受験生時代には、部活動ばかりやって引退したら受験勉強ばかりという、「両道」でもなんでもない文武両道が横行していた(恥ずかしながら私自身もそうだった)が、部活動に軸足を置いている期間もできる範囲で少しずつ勉強し、ここぞという場面でどちら向きにでも勝負をかけられる本当の文武両道型の若者も増えた。
また、中学受験経験者、中高一貫校出身者のアドバンテージについて繰り返し触れたが、だから皆さん中学受験をしましょうという話ではない。彼らが身につけている武器を知ることで、異なる境遇にいる子ども達も自分の頭で考え、工夫し、その経験を逆に武器にしてほしいのだ。
医学部合格を本気で目指す受験生ひとりひとりの頑張りはどれも価値あるものだが、だからこそ同じ医学部の大半が同じような経験しかしたことのない学生ばかりになるのは何とももったいない。多種多様な学生が集まり、切磋琢磨しながら仲間になって、世界で通用する人間の育つ場になることを切に願い、今後も様々な若者たちとともに学んでいきたいと考えている。
藤井 健志
予備校講師
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