東大医学部は人の性格までも変えてしまう
鳥集 どんなに秀才であっても、そういう忖度もできる人じゃないと教授になれない面があるのでしょうか。
和田 東大医学部というところは、人の性格までも変えてしまうのです。
鳥集 しかし、一番合格者を出し続けているにもかかわらず、東大医学部のなかに、派閥としての灘グループが存在しないのは不思議ですよね。
和田 ご存じの通り、医学生は、必ず「医局」に所属しなくてはなりません。そうすると、医局がすべてになるから、横のつながりがとても希薄になっていくのです。
鳥集 なるほど。「医局」とは本来、医師が待機する部屋のことを指していました。今でも一般の病院では、この言葉をその意味通り使っています。しかし、医学部においてはいつしか別の意味で使うようになりました。つまり、各診療科に割り当てられた大学の教授室や研究室のことだけではなく、臨床系の各講座(教室)の人的組織のことを医局と呼ぶようになったのです。
教授以下、こうした講座ごとに、准教授(かつては助教授)、講師、助教(かつては助手)、医員、大学院生、研修医といった肩書の人たちが集まり、ピラミッド型の組織を作っています。各講座の長である教授が、医学部附属病院の診療科長を兼ねることがほとんどです。
和田 医局というのは、一応、自主グループということになっていますが、実態はまさに相撲部屋のようなものです。力士だって、他の相撲部屋の力士と仲良くすると親方から怒られるでしょう。同じようなものですよ。
鳥集 これまで、東大医学部を頂点とする伝統のある医学部は、各地の大学病院や有力病院を支配下に置くことで、領地を拡大していきました。そして、関連病院にどの医局員を派遣するかだけでなく、誰を部長にするかを決める権限までも、医学部の教授が握っていましたからね。
こうして形成された医局と関連病院とのネットワークが、教授の権力の源泉となるのです。だから医局に入って教授に気に入られなければ、その後、条件のいい関連病院に就職することも叶いません。大学に残って助教、講師、准教授などのポストを狙う場合も、教授の協力がなければ研究費の分配もしてもらえなくなるのです。
教授が黒と言えば、本音は白だと思っていても、黒だと言わざるを得ない。昔は、「医局絶対主義」がとても強かった。
和田 その研究費には、国からの補助金も使われているわけですよ。国から、ということはつまり我々の税金です。その税金を、ろくな研究もせずに、自分たちの沽券のために好きなように分配できるのですから、その点で医局制度は、相撲部屋よりも相当酷い。
相撲部屋は、自分たちで努力して強くならないと奨励金が出ないし、タニマチも離れていくので廃業に追い込まれますが、医局の人間は努力しなくても、国からお金が下りたり、製薬会社がお金をくれるわけですから。スポンサーになってくれる製薬会社の薬の治験を行い、その薬に有利なデータを出して講演会の形で賛美するだけでお金が入ってくるのです。
鳥集 相撲部屋というよりも、ヤクザと見紛うような封建制度です。ある地方国立大学を卒業したベテラン医師からこんな話を聞いたことがあります。
「教授には、医局員からの上納金がありました。教授の計らいで博士号を取れたときや就職の世話をしてもらったとき、または結婚の仲人をしてもらったときなど、そのたびに数十万円程度の現金を教授に渡す慣習があったのです」と。現在では、さすがに大っぴらに現金のやり取りはできなくなりましたが、一昔前まではこうした慣行は全国で当たり前のようにあったはずです。
和田 当時は現金のやり取りなど当たり前でしたよ。論文を書きまくって、運よく教授になれた人というのは、自分の信じている学説が絶対に正しいと思っていて、差し出されたお金は受け取るくせに、部下の新しい研究や考え方を受け入れられないのです。これは医者に限ったことではありませんが、自分は偉いのだと勘違いしている秀才ほど、歳をとればとるほど、新しいものを頑なに受け入れなくなってしまいます。つまり、自分の学説を覆すようなことを言っている気鋭の若手教授を認めようとしないのです。
これは現在の東大医学部に顕著です。東大医学部教という宗教に入って、教授の言いなりになって、全然オリジナリティのある研究ができないわけです。相撲部屋のちゃんこ鍋と一緒ですよ。親方が、うちの部屋のちゃんこ鍋は味噌だと言い張ったら、弟子がどんなに美味しい塩ちゃんこを作っても、「こんなのうちの部屋の味じゃないから作り直せ!」と鍋をひっくり返されてしまうのです。
鳥集 そういう教授が、新しい発想まで潰してしまう危険性があります。