灘高→東大理Ⅲ→東大医学部卒。それは、日本の偏差値トップの子どもだけが許された、誰もがうらやむ超・エリートコースである。しかし、東大医学部卒の医師が、名医や素晴らしい研究者となり、成功した人生を歩むとは限らないのも事実。自らが灘高、東大医学部卒業した精神科医の和田秀樹氏と、医療問題を抉り続ける気鋭の医療ジャーナリストの鳥集徹氏が「東大医学部」について語る。本連載は和田秀樹・鳥集徹著『東大医学部』(ブックマン社)から一部を抜粋し、再編集したものです。

灘出身で東大の臨床の教授になったのは秋下雅弘氏だけ

「医局」とは、相撲部屋である

 

鳥集 灘校同士はあまりつるまないというお話でしたが、灘から東大医学部を卒業した人のうち、その人脈を使って政治的に強い力を発揮するとか、医学界で影響力のある人はいますか?

 

和田 あまり見当たりませんね。確かにこのコロナ禍でPCR検査をもっと行うべき!と言い続けて、テレビなどでも存在感を示している上昌広*氏などはそういう立ち位置にいるかもしれません。政治家の鈴木寛*氏と一緒に、医療ガバナンス研究所というNPOで、政治家とのコネクションを作って社会的な活動をしています。

 

しかし私の同期で、灘出身で東大の臨床の教授になったのは、秋下雅弘*氏だけです。

 

上昌広
かみ まさひろ。灘高卒、1993年東京大学医学部卒。医学博士。医療ガバナンス研究所理事長。著書に『病院は東京から破綻する――医師が「ゼロ」になる』(朝日新聞出版)、『ヤバい医学部 なぜ最強学部であり続けるのか』(日本評論社)など。

鈴木寛
すずき かん。1986 年東京大学法学部卒後、通産省入省。2001年参議院議員に初当選。社会創発塾塾長。元・文部科学副大臣、前・文部科学大臣補佐官。

秋下雅弘
あきした まさひろ。灘高卒、1985 年東京大学医学部卒。東京大学大学院医学系研究科教授(老年病学・加齢医学)。東京大学医学部老年病学教室助手、ハーバード大学研究員、杏林大学医学部助教授、東京大学大学院医学系研究科准教授などを経て、現職。

 

灘出身の臨床の教授は意外なほど少ないという。写真は東京大学医学部付属病院。
灘出身の臨床の教授は意外なほど少ないという。写真は東京大学医学部付属病院。

 

鳥集 臨床以外では、東大医学系研究科細胞生物学と理学系研究科物理学専攻などの教授を兼任する岡田康志*氏や、国立感染症研究所エイズ研究センター長と東大医科学研究所附属病院エイズワクチン開発担当分野の教授を兼任する俣野哲朗*氏などが有名です。特に岡田氏は、中高で30万ページの読書をこなし、中学3年のときに東大模試の理ⅢでA判定を取るなど、灘校のなかでも天才の誉ほまれ高い伝説的な人物です。岡田氏は、1968年生まれで先の上氏と同級生ですよね。

 

岡田康志
おかだ やすし。灘高卒、1993年東京大学医学部卒。医師、医学博士。専門は細胞生物学、生物物理学。東京大学大学院理学系研究科、物理学専攻生物物理学講座教授。2011 年より理研・生命システム研究センター(18年より生命機能科学研究センター)チームリーダー。

俣野哲朗
またの てつろう。灘高卒、1985年、東京大学医学部卒。90年に大学院医学系研究科博士課程卒、学位取得。2001年より東京大学大学院医学系研究科微生物学講座助教授、06年から東京大学医科学研究所感染症国際研究センター教授。10年から国立感染症研究所エイズ研究センター長、東京大学医科学研究所附属病院委嘱教授。19年、日本エイズ学会学術集会総会において、学会賞(シミック賞)を受賞

 

和田 医科研*には灘出身の教授は何人かいたようですが、確かに、臨床の教授は意外なほど少ないですね。ひょっとしたら、教授会で灘高OBは嫌われているのかもしれません。教授になるには、まずは選挙の立候補者に選ばれないといけないわけです。東大医学部の場合、教授選には自分から立候補さえもできません。選ばれた人しか立候補さえさせてもらえないのです。さらに、東大の教授会には、関西人を嫌う風潮がもしかするとあるのでしょうか……。

 

医科研
東京大学医科学研究所のこと。1892 年に北里柴三郎氏により設立された大日本私立衛生会附属伝染病研究所を前身とし、1967 年に医科学研究所に改組。生命現象の普遍的な真理と疾患原理を探究し、革新的な予防法・治療法の開発とその社会実装による人類社会全体への貢献を目指すという。

 

鳥集 そんななかで、灘高出身で臨床の教授になれた秋下氏は、やはり実力ですか?

 

和田 私は、秋下氏とは高校時代からわりと仲が良かったのです。知り合ったときから秀才だったし、穏やかないい奴でした。私の結婚式のときには友人代表でスピーチをお願いしたほどです。しかしその後、秋下氏の結婚式に、私は呼ばれなかった。教授たちやMR(製薬会社の医薬情報担当者。事実上の営業職)さんの手前、東大批判や製薬会社批判をしている一匹狼の私のような人間を友人席には呼べなかったのかもしれませんね。正直小さい奴だなと思いましたよ(笑)。

 

彼はその後、『薬は5種類まで』*というタイトルの本を書いた。その本の新聞広告を見たときに、私は、おっ! 東大教授になっても、秋下氏はちゃんと患者を想う良心があるんだなと思って、嬉しかったのです。早速買って読んでみました。

 

しかし、その本に載っている、日本老年医学会*による高齢者に危ない薬のリストを見ると、賛成できない部分も多くありました。たとえば、高齢者の臨床をちゃんとやっている人間なら、副作用が多いのが常識であるはずの骨粗鬆症の薬が、全部安全と書いてあるのには目を疑いました。なぜか? 秋下氏の上司にあたる折茂肇*氏が、骨粗鬆症の権威だから遠慮をしたとしか考えられないのです。

 

『薬は5種類まで 中高年の賢い薬の飲み方』
秋下雅弘著、2014 年、PHP研究所刊。中高年〜高齢者によく見られる、薬の飲み合わせが原因の副作用を実例を挙げて紹介。物忘れや認知症、転倒なども、薬の飲み過ぎによる弊害の可能性が。薬を減らすために今日からできる具体的方法、薬のいらない生活習慣、医者との上手な付き合いを丁寧に説明。しかし日本老年医学会による高齢者に危ない薬のリストについて、本書籍著者の和田秀樹は疑問を呈する。

日本老年医学会による高齢者に危ない薬のリスト
「高齢者の安全な薬物療法ガイドライン」のこと。特に慎重な投与を要する薬物、開始を考慮すべき薬物のリストなどを掲載。

折茂肇
おりも はじめ。1959 年東京大学医学部卒。同大学医学部老年病学教室教授、大蔵省印刷局東京病院院長、東京都老人医療センター院長、健康科学大学学長を歴任。公益財団法人骨粗鬆症財団理事長、国際骨粗鬆症財団理事も務める。日本における老年医学の第一人者と言われている。

 

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東大医学部

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和田 秀樹 鳥集 徹

ブックマン社

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