灘高→東大理Ⅲ→東大医学部卒。それは、日本の偏差値トップの子どもだけが許された、誰もがうらやむ超・エリートコースである。しかし、東大医学部卒の医師が、名医や素晴らしい研究者となり、成功した人生を歩むとは限らないのも事実。自らが灘高、東大医学部卒業した精神科医の和田秀樹氏と、医療問題を抉り続ける気鋭の医療ジャーナリストの鳥集徹氏が「東大医学部」について語る。本連載は和田秀樹・鳥集徹著『東大医学部』(ブックマン社)から一部を抜粋し、再編集したものです。

東大病院が私大医学部出身者を呼ぶのは異例中の異例

学閥なんて関係のない時代がもうすぐくる

 

和田 臨床となると話はまた別です。鳥集さんが言われたように、チーム医療が大切になっている今、空気の読めない、独善的な人間を教授にすると、例の“天野事件”みたいなことが起こってしまうわけです。

 

鳥集 確かに、東大医学部から見たら、あれは“事件”かもしれませんね。2012年2月、天皇(現・上皇)の冠動脈バイパス手術を東京大学医学部附属病院でやることになったのに、東大医学部出身者には適任者がおらず、順天堂大学心臓血管外科教授の天野篤*氏を東大病院に呼んで執刀してもらったことです。私も何度か天野教授に取材をしたことがあります。

 

天野氏は、以前から心臓外科医なら誰もが知っているほど腕がよくて有名でしたから。数多くの糸をかける必要がある心臓弁膜症の手術を見学させてもらったこともありますが、とても手際がよく、それは見事なものでした。しかし、それをもってしても東大病院が私立大医学部出身者を呼ぶのは、異例中の異例です。東大医学部のメンツは丸潰れでしょう。

 

天皇(現・上皇)の冠動脈バイパス手術を天野篤・順天堂大学心臓血管外科教授が東大病院で執刀した。(※写真はイメージです/PIXTA)
天皇(現・上皇)の冠動脈バイパス手術を天野篤・順天堂大学心臓血管外科教授が東大病院で執刀した。(※写真はイメージです/PIXTA)

 

この天野事件には、二つの意味があると思います。一つは、東大医学部に心臓手術、バイパス手術をする名医がいなかったということ。自分たちがその技術を持っていないということを公に認めたということです。

 

そしてもう一つは、それまで東大を中心に旧七帝大が必死に守ってきたはずの医学部の学閥など、実力の世界では意味がないと認めたことです。

 

◆天野篤
あまのあつし。1983年日大医学部卒。新東京病院心臓血管外科部長、昭和大横浜市北部病院循環器センター長・教授、順天堂大医学部心臓血管外科教授などを経て、2016年より順天堂大学医学部附属順天堂医院長。冠動脈バイパス手術の第一人者。12年、東大病院との合同チームの一員として現上皇の心臓手術を行う。

 

和田 その通りなのですが、東大医学部が自ら認めたわけではないですよ。皇室医務主管*になる人というのは、基本的には東大閥を守り続けるのが仕事なわけです。ところが、金澤一郎*氏というのは、例外的と言っていいほど上皇への愛と忠誠があったのかもしれませんが……プライドよりも、天皇の手術成功を優先したわけです。

金澤氏は大変な勉強家で知られていた医者です。精神科にも理解のある人でした。天野医師の抜擢は大英断だったと思います。読者は当たり前だろうと思うかもしれませんが、それが当たり前でないのが東大医学部というところなんですよ。だから、金澤氏が亡くなられたのは残念なことです。

 

◆皇室医務主管
皇室医療の統括者で、公の場に登場する。表に出てこない侍医は侍医長を含めて5人。

◆金澤一郎
かなざわいちろう。1967年東京大学医学部卒。神経内科の第一人者で、パーキンソン病など難病の研究に尽力。東大病院長、日本内科学会理事長などを歴任したのち、宮内庁の要請を受け平成天皇、皇后の内科系の診療を担当。2002年から宮内庁皇室医務主管として、天皇の前立腺摘出手術や心臓バイパス手術などを指揮。16年没。

 

鳥集 私は2017年の『週刊文春』で2週にわたって〈ライバルが認める“がん手術の達人”〉という記事を担当しました。大腸がん、胃がん、肝胆膵がん、乳がん、肺がんの5分野について多くの外科医にアンケートを行い、腕も人間性も信頼できる外科医の名前を挙げてもらったのです。そのなかで複数の推薦があった外科医をリストアップしたところ、合計で126名の名前が並んだのですが、そのうち、東大病院の医師は肝胆膵外科に所属する准教授1人だけでした。

 

ちなみに、他の大学病院では、京大病院で4人、名大病院と順天堂大で3人の方の名前が挙がっています。20年近くにわたって医療現場を取材していますが、がんの分野に限らず、「手が巧い」と高く評価される東大病院の医師は、肝胆膵外科以外、あまり聞いたことがありません。

 

この分野だけ突出して評価されるのは、肝臓外科のパイオニアであった幕内雅敏*氏の功績が大きいと思います。幕内氏は、東大では珍しく臨床医の育成に力を入れた人でした。他大学の医学部教授になった門下生にも話を聞きましたが、手術の技術を教えられただけでなく、「その成果を英語の論文にもできなきゃダメだ」と、厳しかったそうです。

 

◆幕内雅俊
まくうちまさとし。1973年東京大学医学部卒。外科医。国立がんセンター病院外来部外科医長、信州大学医学部第一外科教授、東京大学医学部第二外科教授などを経て97年より東京大学肝胆膵外科、人工臓器・移植外科教授、2007年から日本赤十字社医療センター院長。17年より医療法人社団大坪会東和病院名誉院長。信州大学時代に国内3例目の生体肝移植、以降多数の生体肝移植を実施。肝臓を8つの部分に分け、最小限の切除に止める「系統的区域切除術」を開発した。

 

和田 そういう人格者もたまにいるんですよ。幕内氏より昔で言えば冲中重雄*氏なんかも、もはや伝説です。冲中氏は、政治力なんかじゃなくて、その研究だけが認められて医学部教授になった稀有な人だと聞いています。そして、教授になった途端に、「私は研究の長であると同時に臨床の長になった。これまではあまり臨床をやってこなかったが、お前らに教えてもらうことはいくらでも教えてもらうから」と、医局員に教えを乞うたといいます。まさに、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」の諺を地でいくような人でした。

 

◆冲中重雄
おきなかしげお。1928年東京大学医学部卒。医学博士。43年から東京大学助手、46年には同大教授に就任、63年退官。退官時の最終講義で、自身の教授在任中の誤診率を14・2%と発表したことで知られる。虎の門病院院長を務めたのち、冲中記念成人病研究所理事長。70年に文化勲章、75年に勲一等瑞宝章を受章。

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和田 秀樹 鳥集 徹

ブックマン社

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