自分が天才だという自意識は灘中1年で打ち砕かれた
灘→東大のエリートは、天才と変人の紙一重?
鳥集 実際に東大に入ってからはどうなのでしょう? 灘出身の子は、東大に入っても灘同士でつるむものですか?
和田 理Ⅲに限って言えばそうでもなかったのですが、私の現役当時は灘高やラ・サール高出身の生徒は東大での留年率が高かったはずです。東京に馴染めず、同じ高校出身同士でつるんでしまうからかもしれません。それを見て、「灘やラ・サールの子は受験で燃え尽きてダメになってしまうのか」と考える人も多いようです。
しかし、それはちょっと違うと思いますね。そうではなくて、相対的に「垣根が高い」と感じて合格を勝ち取った子のほうが、大学生になってもしっかり授業を受けるからではないでしょうか。
たとえ東大理Ⅲに受かっても、灘出身の場合、多くの子が「自分は天才で特別な子どもだ」とは思っていなかったような気がします。なぜなら、先ほど申し上げたように灘高は半分より下の成績でも東大生か京大生になれるわけですから。そして、そういう仲間がたくさんいるので、大学に入ったら、東大で新しい友達を作り、東大生として講義を受けるより、「灘校卒」でつるんで雀荘(じゃんそう)通いをしたりするんです。
私自身、自分が天才だという自意識は、灘中に入って1年で見事に打ち砕かれました。小学校のときは、自分は頭がいい、神童だと思っていましたが、灘中に入ったら、神童なんて山ほどいるわけです。灘校のいいところは、本物の天才もたくさんいる一方で、どう見てもアホな奴さえも、東大に合格できるところです。
鳥集 逆に、灘校に入ってがっかりしたことは何かありますか?
和田 そうですね。二つありました。私は、小学校のときは転校生で、6つの学校を転々としたのですが、どこに行ってもイジメられっ子でした。スポーツも団体行動も得意ではなかったし、友達を作るのが苦手でした。でも、灘に入ればきっと変人が多いから、私もクラスで浮かないだろうと思っていました。しかし、いざ中学受験をして、灘中に入ってみると、わりと普通の子どもらというか、変人はほとんどいなかった。スポーツが得意な子も多かったのも予想外でした。
子ども時代、頭のいいヤツというのは、えてして体育が苦手と考えていたのですが、そんなことはなかったのです。たとえば、灘から東大法学部に入って警視総監になった吉田尚正*氏は、とにかく勉強が得意で柔道が得意な文武両道の男でした。高校のときには『クイズグランプリ』*に出たことで話題になりました。
私と同じくらい変人だったのは、ほんの数人でした。中田考*氏とか、勝谷誠彦*氏とかね。中田氏こそ孤高の天才で、ニーチェとかショーペンハウエルとかを高校生で読み込んでいて、言うことがぜんぶ哲学的でした。まあ、勝谷とは全然ウマが合わなかったし、アイツは開業医のボンボンでいつも仲間を引き連れているガキ大将気質の根っからのイジメっ子だったけれど……。
吉田尚正
よしだ なおまさ。灘高卒、1983年東京大学法学部卒。83年警察庁入庁、2006 年から宮崎県警本部長、15年より福岡県警本部長。指定暴力団工藤会の壊滅作戦を指揮し、16年警察庁刑事局長、17年に第94代警視総監に就任、18年退官。灘高時代にテレビ番組『クイズグランプリ』に出場したが、賞品のハワイ旅行は逃した。
『クイズグランプリ』
1970 年から80年にかけてフジテレビ系列で放送されていたクイズ番組。司会は小泉博。「文学歴史」「芸能音楽」「スポーツ」「科学」「社会」「ノンセクション」の6ジャンルについて、10点刻みに10~50点の問題が30問出される。前問の正解者がジャンルと得点を指定する。解答は早押しで、正解すればその問題の得点を獲得できるが、不正解の場合はその問題の得点分減点されるというシステム。
中田考
なかた こう。灘中・灘高卒。早稲田大学政治経済学部に入学するも、翌年東京大学文科三類に入学、1984 年文学部イスラム学科卒。哲学博士。ムスリム名は「ハサン中田」。2015 年、イスラム国による邦人人質事件に際し、イスラム国と独自のパイプを持つ中田氏は直接交渉にあたることができると明言し注目を集めたが、交渉は実現しなかった。
勝谷雅彦
かつや まさひこ。灘中・灘高卒、早稲田大学第一文学部卒。コラムニスト。文藝春秋にて国際報道記者、その後フリーランスのコラムニストとして活躍したが、重症アルコール性肝不全で2018 年11月、死去。