医療と介護の本質的な違いはどこにあるか
これは私見ですが、この考えは病院における医療報酬の考え方と似ていると思います。しかし、老人ホームは病院とはまったく違う側面を持っている、さらには担っているということに着目しなければなりません。
病院は、病気や怪我を治して退院させる場所です。端的に言うと、早く患者を追い返す場所とも言えます。いつまでも病院に入院していること自体が、ナンセンスでダメな話なのです。
しかし、老人ホームの多くの入居者は終の住処として入居しているのが実態です。なお、私は一つの老人ホームに終の棲家として最後まで住み続けるという行動にはきわめて否定的な立場をとっている人間です。身体や心の状態に合わせて、適宜老人ホームも住み替えるべきだと考えていますが、多くの老人ホームは終の住処として活用されているのが現状でしょう。
つまり、病院は治ったら退院、治る見込みがない場合でも退院で、そこには必ず出口があります。だから、少しでも治る見込みが高まるように、専門性の高い専門職を多く配置し、高度な医療技術を導入したりするのに対し、加算報酬で評価することは合理的な話だと思います。
しかし、老人ホームの場合、病院のように成果を求める加算報酬が必要だとは、私にはとうてい思えません。もちろん、一定の成果というよりも、目標設定に対する達成度を評価するという行為は、介護職員を評価するという意味で、ある程度必要なことだと思います。が、行き過ぎは厳禁です。
次のような質問をした場合、読者の皆さんはどのように回答するのでしょうか。
病気になり手術を受けることになったとき、手術に対する技術力は高いが人間性に問題がある医師と、手術に対する技術は大いに疑問だが人間性がすこぶる良い医師と、どちらに手術をしてほしいのか? 私は、もちろん人間性などどうでもよいので、とにかく腕のよい医師にお願いしたいと思っています。
では次に、介護の技術は高いが人間性に問題がある介護職員と、介護の技術はそれほど高くないが、人間性が素晴らしい介護職員のどちらに介護を受けたいと思うか? 私は、もちろん後者の人間性の素晴らしい介護職員に面倒を見てもらいたいと思います。
つまり、医療と介護の違いはここにあるのです。医療は身体の機能を治してなんぼ、介護は気持ちを心地よくしてなんぼなのです。
今の介護保険報酬の概念や今後の介護保険報酬の行方を考えた場合、成果報酬という概念が強く出すぎると、心地よい介護サービスを受けることができなくなるような気がしてなりません。高齢者になってまで、過度な目標設定や訓練をしないと生きていけないということは、本当に必要なことなのでしょうか? よく考えてみなければならないテーマのような気がします。