新潟県湯沢町のリゾートマンションのいま
リゾートマンションの夢の跡
ホイチョイ・プロダクション製作の映画「私をスキーに連れてって」が公開されたのは、1987年11月。世の中は、あの平成大バブルの絶頂に向かって盛り上がっていた。また、スキーブームにも沸いていた。東京に住む多くの若者は、冬になると2度か3度はスキーに行くことがあたりまえだった。
私はそのころ、広告制作会社の制作部門に在籍していた。もっぱら分譲マンションの募集広告を作らされていたのだ。
あるとき担当させられた広告のひとつに、新潟県の湯沢町にできるというリゾートマンションがあった。
「世の中には、マンションを買ってまでスキーをしたがる人がいるのか」
そんなことを考えたのを覚えている。
パンフレットや図面集、価格表を作った。価格を見て驚いたのだが、当時の東京の外型マンションとほとんど同じ水準だった。
その購入費用と維持費用の総額は、同じリゾート地のホテルを利用した2泊3日のスキー旅行を毎年5回、30年続けた場合の費用よりも高額だったのである。
「これを買う意味があるのか?」
なんとも不思議な商品だった。そもそも、リゾートマンションという形態そのものが、温泉やスキーなどが目的や用途であるにもかかわらず、コストパフォーマンスでは説明できない不動産商品だったのだ。
しかし、時はバブルだった。そういった商品に説明できない価格がついていても、それなりに売れていたと記憶している。そのうち、都心にあるようなタワー型のリゾートマンションまでが湯沢エリアに次々と登場した。湯沢エリアで、リゾートマンションブームが巻き起こったのだ。
最終的に、湯沢町には約1万5000戸分のリゾートマンションが建設されたという。