「懐疑」だけでは常識の壁は打ち破れない理由
私たちは普段、文化という、人間がつくり出した衣に包まれて暮らしていますが、それらを意識することはまずありません。文化は空気のように私たちを取り囲んでいるだけでなく、すでに身についているので、意識しないのです。
ただ、これはときとしてものごとを考える上では常識という壁になるのです。特に新しくものを見たり考えたりする場合は、知らず知らずのうちに常識という殻から抜け出せずにその中に留まってしまいます。なぜなら、すでに既存の文化が刷り込まれているために、それを自分の意識から引き剥がして対象化して疑うことが困難だからです。普段から、無意識にできる行動が、かえって「なぜ、それができているのだろうか?」と疑うことを許さないからです。
こういった習慣化された文化が悪いことのように言いましたが、実際は一方的に悪いわけではなく、習慣化した常識があるからこそ、社会の中で難なく生きていくこともできます。そういった保守性がないと、人は社会の中で価値観を共有することも、社会生活をスムーズに営むこともできないのです。
文化というものは、基本的にはそれまでつくり上げてきた価値や因習を守るという方向に働く保守的な傾向を持つものですから、一定の社会を維持することができるのです。しかしながら、一方で新しい発想やイノベーションを起こそうとするときには、それらが邪魔をする障壁にもなるのです。
前述の視覚との関係ですが、この人間の文化的な営みの発展に、最も貢献した器官が視覚なのです。人間がつくり出した“本当らしさ”を介して多くの人と価値やイメージを共有し、文化をつくり上げる役割の多くを視覚が担ってきたのです。
私たちは架空の線や面などでできた絵画やアニメーションをそれらしいものとして認識して共通のイメージを抱きます。視覚は、最も文化と相性がよい器官です。だからこそ視覚世界にイノベーションを起こすことが、文化にイノベーションを起こすことにつながるのです。
現代アーティストがなぜ視覚世界にイノベーションを起こすことができるのか。またそれがなぜ新しいイメージとして共有されていくのか。
現代アーティストの役割は、これまでの古いしきたりに囚われない見方を創造して、イノベーションを起こすことにあるのです。並大抵の「懐疑」では常識の壁は打ち破れないわけです。
これらを打ち破るためには、教育されていない、因習化されていない裸眼のような眼が必要になります。別のいい方をすれば野生の眼ともいえますが、優れたアーティストの多くは、野生の「眼」を持ち、イノベーションを起こしているのです。現代アーティストは、様々なものに懐疑の目を向けて常に自問自答し、曇ったガラスを磨くように「見る力」を刷新しています。
秋元 雄史
東京藝術大学大学美術館長・教授
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