窓際サラリーマンが掴んだ新しい賃貸ビジネス
自身を「マイクロデベロッパー」と呼ぶ漆原さんは「ミナトバラックス」を起点に何度も足を運びたくなるように館山を盛り上げたいと考えている。
2019年には長く地域に愛された診療所及び院長の自宅を譲ってもらい、18名定員のゲストハウス「tu.ne.Hostel(ツネホステル)」として改装しオープン。その裏庭には小さな公園も設けた。
館山にいる人、館山に来る人、その両者が利用できて、交流できる場を目指している。家主業で理想のライフスタイルを手に入れる
息子と一緒に仕事ができるなんて幸せだ——。こう話すのは、「不動産イベント倶楽部」や「居酒屋セミナー」を主宰する福岡県宗像市の赤尾宣幸さん。22年前は、自称「窓際サラリーマン」として悶々とした日々を送っていたという。自分の能力を生かしたい、将来が不安な年金に頼らなくて済むようにしたいと思い、目を付けたのが家主業だった。
1991年に区分マンションを買い、その後賃貸にして家主業の魅力を知り、1998年から、3年続けて毎年1戸ずつ競売で区分マンションを購入。競売で区分マンションを買ってみると室内は荒れていてひどい状況だったが、資金がなかったため、自分でリフォームした。その結果、月に20万円を超える家賃収入が確保できた。取得した競売物件は利回り20%を余裕で超えていた。
そのころ、福岡市では新築物件がどんどん供給されるようになり、こんな勢いで物件が増えれば、供給過剰でやがて家がだぶつくのではないか。競争が始まればサラリーマン家主は厳しくなるだろう。そう考え、年金分は確保できたので様子を見ることにした。
奥さんから「介護の仕事がしたい」という話があり、2003年に介護事業(デイサービス)を立ち上げ、計画通りに成功。ダブルワークの過労で兼業が難しくなり翌年に勤めていた会社を退職した。その後、住まいに困る高齢者を目の当たりに見て、悩み抜いた末に「高齢者向きアパート」を考案。2棟16室のアパートを購入した。現在25戸を所有している。
お金のためだったDIYは、友達の物件を手伝い経験を積み、仲間と一緒に楽しむようになった。その輪を広げようとDIYを楽しむ会を設立。「息子もDIYを手伝ってくれるようになり、一緒に楽しみながら親子で会話し、自分の生き様や考えを自然に伝えることができたと思う。入居者目線のDIYが長期入居につながったのか、退去は年に1回くらいで、幸せな『楽ちん大家』だ」と赤尾さんは話す。
永井ゆかり
「家主と地主」編集長
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