両親が離婚をしても親子関係は消えません。どちらが親権をとろうが、両者から相続できます。では後妻がバツイチで、前夫との子を連れて、新しい夫と結婚するとどうなるのでしょう? 連れ子と新しい夫との間には、養子縁組をしない限り親子関係は生じません。こうしたちょっと複雑な関係が相続トラブルにつながるのです。 ※本記事は、青山東京法律事務所の代表弁護士・植田統氏の書籍 『きれいに死ぬための相続の話をしよう 残される家族が困らないために必要な準備』(KADOKAWA)より一部を抜粋したものです。
「拓也さんは即死でした。」衝撃の展開
拓也さんが友里恵さんに東京での聖子さんとの話を伝えると、友里恵さんは、「私は会社で働き続けるつもりだから、ローンの支払いぐらい何とかできるはずよ。とにかく、早く聖子さんと別れて、私と一緒になってちょうだい」と言ってきます。
拓也さんは、友里恵さんがそう言ってくれるなら、それでいいかと思うようになり、1ヵ月後、また東京へ別れ話をしに帰ってきました。
拓也さんが、聖子さんにこの条件を伝えると、聖子さんは「それならいいわ。あなたが最後までローンを払うのよ。そして、ローンを払い終わったら、名義を私に換えるのよ。その誓約書を書いておいてね」とすんなりと合意に至りました。
拓也さんは、この頃ツイていたみたいです。ついに妹の静香さんが再婚することになり、家を出ていくことになったのです。家を売りに出すと、すぐに買い手がつき、想定額の3000万円は下回りましたが、2800万円で売ることができました。拓也さんのもとには、1400万円の現金が入り、ようやく住宅ローンの支払いにも少し余裕が持てるようになりました。
拓也さんは、それからすぐ離婚届を出しました。剛君の親権者は、聖子さんです。それから1ヵ月待って、拓也さんは友里恵さんとの婚姻届けを出し、長野での新婚生活を始めました。
新婚生活と言っても、京子ちゃんが一緒です。
京子ちゃんはお父さんがほしかったと見えて、拓也さんにまとわりついてきます。拓也さんも子供と遊ぶのは好きでしたから、すぐに2人は仲良しになりました。1ヵ月もすると、まるで実の親子のような3人の楽しい生活が軌道に乗りました。
ところが、幸せな生活は長続きしませんでした。
拓也さんが、残業で工場を出るのが遅くなった夜、車を運転していて衝突事故にあったのです。相手がダンプだったので、軽自動車に乗っていた拓也さんは即死でした。
拓也さんの葬式が済むと、友里恵さんは拓也さんの持ち物の跡片付けを始めました。拓也さんが、実家の売却で1400万円を預金口座に持っていることは知っていましたが、東京のマンションの登記がどうなっているのか、そのローンの支払いが今後どうなるのかは、友里恵さんにはわかりませんでした。
青山東京法律事務所 代表弁護士
1981年に東京大学法学部卒業後、東京銀行(現三菱東京UFJ銀行)に入行し、外国為替、融資業務等を経験。
その後、アメリカ ダートマス大学MBAコースへの留学を経て、世界の四大経営戦略コンサルティング会社の一角を占めるブーズ・アレン・アンド・ハミルトン(現PWCストラテジー)に入社し、大手金融機関や製薬メーカーに対する経営戦略コンサルティングを担当。
その後、転じた野村アセットマネジメントでは資産運用業務を経験し、投資信託協会でデリバティブ専門委員会委員長、リスク・マネジメント専門委員会委員長を歴任。
その後、世界有数のデータベース会社であるレクシスネクシス・ジャパン株式会社の社長となり、経営計画の立案・実行、人材のマネジメント、取引先の開拓を行った。弁護士になる直前まで、世界最大の企業再生コンサルティング会社であるアリックスパートナーズに勤務し、ライブドア、JAL等の再生案件、一部上場企業の粉飾決算事件等を担当した。
2010年弁護士登録を経て南青山M’s法律会計事務所に参画し、2014年6月独立して青山東京法律事務所を開設。
現在は、銀行員、コンサルタントと経営者として蓄積したビジネス経験をビジネスマンに伝授するため、社会人大学院である名古屋商科大学経営大学院(MBA)教授として企業再生論、経営戦略論を学生に講義するほか、数社の社外取締役、監査役を務めている。過去5年間に、経営、キャリア、法律分野で精力的に出版活動を展開している。
主な著書に「きれいに死んでいくための相続の話をしよう」(KADOKAWA)、共著に「マーケットドライビング戦略」(東洋経済新報社)「企業再生プロフェッショナル」(日本経済新聞出版社)など。
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