相続というのは、プラスの財産だけを引き継ぐのではありません。被相続人の財産状態「すべて」を相続するのですから、マイナスの財産も相続することになります。 ※本記事は、青山東京法律事務所の代表弁護士・植田統氏の書籍 『きれいに死ぬための相続の話をしよう 残される家族が困らないために必要な準備』(KADOKAWA)より一部を抜粋したものです。
家庭も仕事も順風満帆だったあの頃
■ 負債も相続する恐怖
鈴木家は、男ばかりの4人兄弟でした。上の2人の兄は東京の大学に送り出してもらえました。その割を食ったのが、三男の三郎さんでした。大学には行けず、高校を卒業すると英樹さんの農作業の手伝いをさせられることになりました【鈴木家の家系図】。
一番下の四男の四郎さんも同じです。父の英樹さんには、四郎さんを大学に送り出すお金はなかったので、学業成績が優秀だった四郎さんも、高校卒業と共に働くことになりました。農業は三郎さんが継いでしまっていたので、四郎さんは自分を雇ってくれるところを探すことになりました。
田舎では仕事は見つからず、四郎さんは横浜の音響機器メーカーの工場で働き始めます。アンプやスピーカーを組み立てる仕事です。四郎さんは頭がよかったし、手先も器用でしたので、すぐに仕事で頭角を現しました。そして、上司から認められるようになります。
30歳になるころには、現場のチームリーダーとなり、給料も順調に上がっていきました。プライベートでも、同じ会社で働いていた明子さんと結婚し、子供も1人生まれ、進一郎と名付けました。
30代後半には、横浜の郊外に小さな一戸建ても購入しました。45歳になるころには、課長の地位にも昇進しました。このころまで、四郎さんの人生は順調だったのです。
青山東京法律事務所 代表弁護士
1981年に東京大学法学部卒業後、東京銀行(現三菱東京UFJ銀行)に入行し、外国為替、融資業務等を経験。
その後、アメリカ ダートマス大学MBAコースへの留学を経て、世界の四大経営戦略コンサルティング会社の一角を占めるブーズ・アレン・アンド・ハミルトン(現PWCストラテジー)に入社し、大手金融機関や製薬メーカーに対する経営戦略コンサルティングを担当。
その後、転じた野村アセットマネジメントでは資産運用業務を経験し、投資信託協会でデリバティブ専門委員会委員長、リスク・マネジメント専門委員会委員長を歴任。
その後、世界有数のデータベース会社であるレクシスネクシス・ジャパン株式会社の社長となり、経営計画の立案・実行、人材のマネジメント、取引先の開拓を行った。弁護士になる直前まで、世界最大の企業再生コンサルティング会社であるアリックスパートナーズに勤務し、ライブドア、JAL等の再生案件、一部上場企業の粉飾決算事件等を担当した。
2010年弁護士登録を経て南青山M’s法律会計事務所に参画し、2014年6月独立して青山東京法律事務所を開設。
現在は、銀行員、コンサルタントと経営者として蓄積したビジネス経験をビジネスマンに伝授するため、社会人大学院である名古屋商科大学経営大学院(MBA)教授として企業再生論、経営戦略論を学生に講義するほか、数社の社外取締役、監査役を務めている。過去5年間に、経営、キャリア、法律分野で精力的に出版活動を展開している。
主な著書に「きれいに死んでいくための相続の話をしよう」(KADOKAWA)、共著に「マーケットドライビング戦略」(東洋経済新報社)「企業再生プロフェッショナル」(日本経済新聞出版社)など。
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連載きれいに死ぬための相続の話をしよう~残される家族が困らないために必要な準備