両親が離婚をしても親子関係は消えません。どちらが親権をとろうが、両者から相続できます。では後妻がバツイチで、前夫との子を連れて、新しい夫と結婚するとどうなるのでしょう? 連れ子と新しい夫との間には、養子縁組をしない限り親子関係は生じません。こうしたちょっと複雑な関係が相続トラブルにつながるのです。 ※本記事は、青山東京法律事務所の代表弁護士・植田統氏の書籍 『きれいに死ぬための相続の話をしよう 残される家族が困らないために必要な準備』(KADOKAWA)より一部を抜粋したものです。
嫁「せいせいした」から一転、大激怒のワケは…
長野県の工場へ4年間行ってこいという辞令です。拓也さんは剛君と別れるのがつらく、上司にも相談してみましたが、「お前も将来の出世のことを考えるなら、おとなしく行ってこい。長野県なら、東京に帰ってこようと思えば、毎週だって帰ってこられるじゃないか」と言われてしまいました。
そして、拓也さんは単身赴任となりました。聖子さんはせいせいしたという感じで、一緒に長野に行くことは、端から考えていない様子でした。
こうして拓也さんの長野県での暮らしが始まりました。上司には、「毎週帰ればいい」と言われましたが、ローンの支払いはたくさんあるし、帰京の電車賃は全部自腹になりますから、月に一度帰るのがやっとです。
その上、帰っても、聖子さんとの冷戦状態が変わることはなく、家にいても面白くありません。
だんだん、拓也さんの足は東京のマンションから遠のき始め、3ヵ月に一度くらいしか帰らなくなりました。一方、長野の工場では拓也さんの存在も認められるようになり、地元の女性社員の友里恵さんと、時々食事を一緒にする関係になって行きました。
次第に2人の仲は深いものになり、拓也さんは聖子さんと別れて、友里恵さんと結婚することを決意します。
友里恵さんはバツイチで、剛君と同じ年頃の京子ちゃんという娘さんがいました。
久々に東京のマンションに帰った拓也さんが、聖子さんに離婚の話を切り出すと、聖子さんは激怒しました。「最近家に帰ってこなくなったと思ったら、長野で女をつくっていたのね。私はただじゃ別れないわよ」と怒鳴り散らします。
拓也さんは、これでは話にならないと思い、冷却期間を置くことにし、翌日長野に帰りました。帰る途中、「ただじゃ別れない」という言葉が気になって、「どうしたら別れてくれるんだろう。マンションを渡さないとだめなのか」と考え始めました。
でも、マンションのローンは、まだ3000万円以上残っています。友里恵さんと結婚してからの生活を考えると、自分の住まないマンションのローンを支払い続けることはできません。
青山東京法律事務所 代表弁護士
1981年に東京大学法学部卒業後、東京銀行(現三菱東京UFJ銀行)に入行し、外国為替、融資業務等を経験。
その後、アメリカ ダートマス大学MBAコースへの留学を経て、世界の四大経営戦略コンサルティング会社の一角を占めるブーズ・アレン・アンド・ハミルトン(現PWCストラテジー)に入社し、大手金融機関や製薬メーカーに対する経営戦略コンサルティングを担当。
その後、転じた野村アセットマネジメントでは資産運用業務を経験し、投資信託協会でデリバティブ専門委員会委員長、リスク・マネジメント専門委員会委員長を歴任。
その後、世界有数のデータベース会社であるレクシスネクシス・ジャパン株式会社の社長となり、経営計画の立案・実行、人材のマネジメント、取引先の開拓を行った。弁護士になる直前まで、世界最大の企業再生コンサルティング会社であるアリックスパートナーズに勤務し、ライブドア、JAL等の再生案件、一部上場企業の粉飾決算事件等を担当した。
2010年弁護士登録を経て南青山M’s法律会計事務所に参画し、2014年6月独立して青山東京法律事務所を開設。
現在は、銀行員、コンサルタントと経営者として蓄積したビジネス経験をビジネスマンに伝授するため、社会人大学院である名古屋商科大学経営大学院(MBA)教授として企業再生論、経営戦略論を学生に講義するほか、数社の社外取締役、監査役を務めている。過去5年間に、経営、キャリア、法律分野で精力的に出版活動を展開している。
主な著書に「きれいに死んでいくための相続の話をしよう」(KADOKAWA)、共著に「マーケットドライビング戦略」(東洋経済新報社)「企業再生プロフェッショナル」(日本経済新聞出版社)など。
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