相続というのは、プラスの財産だけを引き継ぐのではありません。被相続人の財産状態「すべて」を相続するのですから、マイナスの財産も相続することになります。 ※本記事は、青山東京法律事務所の代表弁護士・植田統氏の書籍 『きれいに死ぬための相続の話をしよう 残される家族が困らないために必要な準備』(KADOKAWA)より一部を抜粋したものです。
「こんな生活には耐えられません。」妻からの最終宣告
会社をやめて、自分の会社を始めてからは、四郎さんは家に帰らず、会社に泊まり込んで仕事をすることが多くなっていました。明子さんとの会話もなくなり、夫婦関係は冷めきっていました。
明子さんは進一郎さんの将来が心配になり、これなら実家に帰って、進一郎さんを育てたほうがいいと思うようになり、離婚を切り出します。
「私は、もうこんな不安定な生活には耐えられません。あなたも家庭を見捨ててしまったし、別れましょう。実家で進一郎を育てます」と言ってサッサと家を出て行ってしまいました。
取り残された四郎さんは、何とか明子さんと進一郎さんに家に戻ってきてほしいと思いましたが、会社の財務状態は火の車で、それどころではありませんでした。思ったように売り上げが上がらず、商工ローンの残高はどんどん膨らんでいったのです。
自分や社員の給料を下げて、コスト削減を図りますが、それでも現金の流出は止まりません。
ついに、四郎さんは、会社をたたむことを決断します。商工ローンの会社は、四郎さんの自宅を処分し、6000万円のローンのうち3000万円を回収。四郎さんには、3000万円の借金が残りました。
四郎さんはこの後も再起をかけて、新たに借りた安アパートで高級音響機器を1人で作り続けています。でも、売れても1台か、2台。義理で買ってくれるお客さんだけで、新しいお客さんは見つけられませんでした。
この間、生活費にも事欠く状態で、食事は1日に1回程度。極度の栄養失調状態で四郎さんはやせ細っていきました。順調だった昔の生活を振り返ると、涙が止まりません。夜も眠れない状態になりました。
こうした無理な生活がたたったのか、四郎さんは突然死を迎えます。享年62歳でした。葬儀は、兄弟の仲で唯一生き残った三郎さんが喪主となり、明子さんと進一郎さんが駆け付けてくれました。
青山東京法律事務所 代表弁護士
1981年に東京大学法学部卒業後、東京銀行(現三菱東京UFJ銀行)に入行し、外国為替、融資業務等を経験。
その後、アメリカ ダートマス大学MBAコースへの留学を経て、世界の四大経営戦略コンサルティング会社の一角を占めるブーズ・アレン・アンド・ハミルトン(現PWCストラテジー)に入社し、大手金融機関や製薬メーカーに対する経営戦略コンサルティングを担当。
その後、転じた野村アセットマネジメントでは資産運用業務を経験し、投資信託協会でデリバティブ専門委員会委員長、リスク・マネジメント専門委員会委員長を歴任。
その後、世界有数のデータベース会社であるレクシスネクシス・ジャパン株式会社の社長となり、経営計画の立案・実行、人材のマネジメント、取引先の開拓を行った。弁護士になる直前まで、世界最大の企業再生コンサルティング会社であるアリックスパートナーズに勤務し、ライブドア、JAL等の再生案件、一部上場企業の粉飾決算事件等を担当した。
2010年弁護士登録を経て南青山M’s法律会計事務所に参画し、2014年6月独立して青山東京法律事務所を開設。
現在は、銀行員、コンサルタントと経営者として蓄積したビジネス経験をビジネスマンに伝授するため、社会人大学院である名古屋商科大学経営大学院(MBA)教授として企業再生論、経営戦略論を学生に講義するほか、数社の社外取締役、監査役を務めている。過去5年間に、経営、キャリア、法律分野で精力的に出版活動を展開している。
主な著書に「きれいに死んでいくための相続の話をしよう」(KADOKAWA)、共著に「マーケットドライビング戦略」(東洋経済新報社)「企業再生プロフェッショナル」(日本経済新聞出版社)など。
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連載きれいに死ぬための相続の話をしよう~残される家族が困らないために必要な準備