酒税は14世紀後半、足利義満の時代に始まった
戦後から1960年代にかけて、ウイスキー産業は大きな発展を遂げました。その発展は酒税法および級別区分と無関係ではありません。そこで、ここでは酒税法と級別区分の改正とあわせて、戦後のジャパニーズウイスキーの歩みをたどります。
ご存じのとおり、お酒には税金が課されています。これを酒税といいます。酒税がはじまったのは、14世紀後半、足利義満(あしかがよしみつ)の時代といわれています。以来、制度や税率は時代によって異なりますが、昔も今も、酒税は国の重要な財源の一つとなっています。
現在の酒税の原型が整えられたのは1940(昭和15)年です。1943(昭和18)年には級別課税制度が導入されました。級別課税制度は、市販のウイスキーに特級・1級・2級などのランクをつけ、ランクに応じて税金を徴収する日本独自のシステムです。ランクが上がるほど徴収される税金が増え、販売価格も高くなります。
また、1939(昭和14)年に酒の公定価格制度がスタートしており、戦時下から戦後にかけて酒類の価格は国によって決められていました。第二次世界大戦、太平洋戦争が開戦するなか、酒税をより多く徴収して国の財源を確保しつつ、特級や1級といった上級酒の品質を国が保証し、さらに公定価格を制定することで、酒不足の時代に粗悪な酒が出回るのを防ぐ。そんな狙いが政府にはあったのでしょう。しかし、現実にはメチル、カストリ、バクダンなどの粗悪な密造酒が闇市(やみいち)で大量に横行し、多数の死者が出ています。
さて、1943年の時点ではウイスキーは「雑酒」に分類されていました。雑酒とは、簡単にいえば、日本酒や焼酎、ビールではないお酒のことです。
当時の級別区分は図表1のようになっていました。「本格ウイスキー」とは、3年貯蔵以上の原酒(モルトウイスキー)を意味します。1級は指定銘柄で、寿屋(現・サントリーホールディングス)の「サントリーウ井スキー(角瓶)」、国産第2号といわれる「トミーウヰスキー」、1940年発売の「ニッカウ井スキー Rare Old」などが認定されていました。
さらにこのウイスキーの級別は、第二次世界大戦を経て、1949(昭和24)年には図表2のように改められます。1943年の級別区分と同様に、ウイスキーの甲類、乙類には、3年以上貯蔵した原酒の使用が定められていました。そしてこの年、ウイスキーの公定価格制度が廃止になり、1950(昭和25)年からは各メーカーが価格を自由に設定できるようになりました。これを受けてウイスキーメーカーは生産体制を整え、次々とウイスキーを販売していきます。その多くは3級ウイスキーでした。
当時、市場に出回っていた3級ウイスキーは1本(640㎖)300円台でした。一方、1級ウイスキーに認定されていたニッカウ井スキーは1300円ほど。第二次世界大戦が終わってからわずか5年です。多くの日本人が1級ではなく、安く酔える3級ウイスキーを求めたのは当然といえるでしょう。
ただ、この時期の3級ウイスキーは、「ウイスキーもどき」でした。図表2にある3級の定義に注目してください。3級の原酒混和率は「1級、2級に該当しないもの」となっています。2級の原酒混和率は5%以上。つまり、3級の原酒混和率は5%未満となります。この「未満」というのがポイントで、原酒は1%でも、0.1%でもいいということになります。
おそらく、原酒混和率が0%のものもあったでしょう。つまり、3級と呼ばれるウイスキーの95%以上は「ウイスキーでないもの」で構成されていたのです。「ウイスキーでないもの」の正体は、モラセスなどからつくられる醸造アルコールです。ここに、モルト原酒を少々加えて、色と風味づけをすれば3級ウイスキーのできあがりでした。