ウイスキーの本場といったらどこを思い浮かべるだろうか? イギリス、アメリカ――それだけではない。今、日本のウイスキーの評価はうなぎのぼりで、世界中の賞を総なめにしている。だが、肝心の日本人はその事実を知らない。しかし、それではもったいない――ウイスキー評論家の土屋守氏はそう語る。ここでは、ウイスキーをもっと美味しく嗜むために、日本のウイスキーの歴史や豆知識など、「ジャパニーズウイスキー」の奥深い世界観を紹介する。本連載は、土屋守著書『ビジネスに効く教養としてのジャパニーズウイスキー』(祥伝社)から一部を抜粋・編集したものです。

 

ここからは押さえておきたいウイスキー業界のトピックスと、当時話題になった広告を、1980(昭和55)年から追っていきます。すべての新製品と広告を取り上げているわけではありませんが、当時のウイスキーにいかに勢いがあったか、その空気は感じていただけるはずです。

1950年代半ばから約20年続いた高度経済成長を経て、1980年代、日本は安定成長時代に突入。人々が快適で楽しい生活を求めるなか、1983(昭和58)年、ウイスキーの消費量はピークを迎えます。

大原麗子、サントリーレッドのCMで世の男性を魅了

世界のホームラン王といわれた王貞治(おうさだはる)と70年代のトップアイドル山口百恵(やまぐちももえ)が引退した1980年、サントリーオールドの販売量が1240万ケースに達しました。この記録は、単一ブランドの販売量としては世界一であり、40年経つ今も破られていません。

 

オールドがピークを迎えたこの年、サントリーレッドのCM「すこし愛して、ながく愛して。」シリーズがスタートしました。愛しい男性に振り回されつつも、健気に尽くす女性を演じたのは女優・大原麗子(おおはられいこ)。監督はドラマ『木枯し紋次郎(こがらしもんじろう)』、映画『ビルマの竪琴(たてごと)』などで知られる市川崑(いちかわこん)でした。

 

別バージョンの「ときどき隣りに、おいといて。」とともに、ご記憶の方も多いでしょう。このCMは大いに評判を呼び、サントリーレッドの人気をあと押ししました。また、角瓶はCMキャラクターにシンガーソングライターの井上陽水(いのうえようすい)を起用。キッチンや風呂場で井上陽水が角瓶を飲み、「角はいつか見た男の青空です」「角はなんつうか心のご飯です」というナレーションが入るというものでした。どこか退廃とした演出に、かえって都会の雰囲気が感じられるシリーズでした。

 

(※写真はイメージです/PIXTA)
(※写真はイメージです/PIXTA)

 

さらに、ローヤルは1980年から1982(昭和57)年にかけて、「世界の文豪シリーズ」を展開。アーネスト・ヘミングウェイやジョン・スタインベックといった文豪の作品を題材にした映像が流れ、「男はグラスの中に、自分だけの小説を書く事が出来る」のキャッチコピーで締めくくられました。

 

一方のニッカウヰスキーは、スーパーニッカのCMに谷村新司(たにむらしんじ)の曲を採用しています。谷村の代表曲の一つ「昴(すばる)」です。「昴」はこのCMのためにつくられた歌なのです。中国でも有数の絶景の地・桂林(けいりん)の雄大な映像に合わせて、名曲「昴」が流れるスケールの大きな作品でした。振り返ってみると、1980年は音楽関係者をCMに起用するのがトレンドだったのかもしれません。

 

キリンシーグラムのロバートブラウンのCMには、世界的に有名なトランペッター、ハーブ・アルパートが登場。浜辺やプールサイド、あるいは邸宅のなかで、アルパートが仲間とともに演奏したり、ウイスキーを飲み交わしたりする様子は、今見ても洗練されています。

 

アルパートが出演するシリーズは1986(昭和61)年ころまで続き、CMに採用された彼の楽曲は、日本の多くの音楽ファンをとりこにしました。ちなみに、ラジオ番組『オールナイトニッポン』のテーマソング「Bitter Sweet Samba」もアルパートの作品です。

サントリーオールドの「夢街道シルクロードシリーズ」

1980年、NHKのドキュメンタリー番組『シルクロード─絲綢之路(しちゅうのみち)─』がスタートしました。番組は、喜多郎(きたろう)が作曲したテーマ曲「絲綢之路シルクロードのテーマ」とともに大ヒット。これを機に日本はシルクロードブームに沸きます。

 

シルクロードを扱った広告も増え、その筆頭が、1981(昭和56)年からはじまったサントリーオールドの「夢街道シルクロードシリーズ」でした。古くから「文明の十字路」と呼ばれたオアシスの町で暮らす人々を映し出した「カシュガル」編と、過酷な砂漠のなかで営まれる生活にスポットを当てた「トルファン」編があり、当時、27歳だった私もシルクロードへの憧れをかきたてられたものです。

 

同年、サントリーはもう一つ、傑作CMを世に送り出しています。カンヌ国際広告祭で金賞を受賞した、トリスの「雨と犬」です。雨の京都を彷徨(さまよ)う子犬を追った情緒的な映像に、「いろんな命が生きているんだなあ。元気で、とりあえず元気で、みんな元気で。」というナレーション、そして、「トリスの味は人間味」のコピー。不朽の名作です。当時のテレビCMをこうして思い出していると、「昔のCMはよかった……」とつい思ってしまいます。年のせいでしょうか。

 

さてこの年、サントリーは白州の地に蒸留所を新設しています。これで白州蒸溜所には二つの蒸溜施設ができたことになります。一つは、1973(昭和48)年に建てられた通称「白州西蒸溜所」、もう一つがこの年にできた「白州東蒸溜所」です。なぜ、白州に二つの蒸溜所ができることになったのでしょうか。

 

サントリーは長らく、モルトウイスキーは山崎蒸溜所でのみつくっていました。しかし、オールドの売り上げが伸びに伸び、また、ウイスキーのラインナップが増えたこともあって、山崎蒸溜所だけでは原酒の仕込みが追いつかなくなりました。そこで、第二のモルトウイスキー蒸留所をつくることにしたのです。

 

二代目社長であり、二代目マスターブレンダーも務めた佐治敬三は、第二のモルトウイスキー蒸留所の建設地を決めるにあたり、特に水にこだわったといいます。南アルプスの花崗岩(かこうがん)層で磨かれた白州の水は、キレのよい軟水です。佐治も、当時のチーフブレンダーもこの天然水に惚れ込み、西蒸溜所を建設しました。

 

ところが、西蒸溜所でつくられた原酒は佐治らが求める酒質ではありませんでした。おそらく、蒸留器が巨大で、しかもスチームによる間接加熱のせいで酒質が軽くなりすぎたのでしょう。西蒸溜所の原酒をこのまま使い続けることはできない。そう判断して、白州東蒸溜所が新たに建てられることになったのです。

 

こちらは蒸留器のサイズも小さくし、しかも昔ながらの直火による直接加熱の蒸留に戻しました。これが現在の白州蒸溜所で、1973年に竣工した西蒸溜所は以来使われなくなりました。オールドは1980年に販売量のピークを迎えてからは下降の一途をたどります。これはおそらく、ブレンドに使われていた白州西蒸溜所の原酒が今ひとつだったことも一因ではないでしょうか。

 

白州東蒸溜所の原酒が十分に熟成されたころには、オールドはおろか、ジャパニーズウイスキー全体の消費が低迷。オールドの販売量が持ち直すことはありませんでした。現在、白州蒸溜所といったら白州東蒸溜所を指します。蒸溜所見学はもちろん、広大な敷地では森林浴やバードウォッチングも楽しめます。機会があれば、ぜひ一度足を運んでみてください。

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ビジネスに効く教養としてのジャパニーズウイスキー

ビジネスに効く教養としてのジャパニーズウイスキー

土屋 守

祥伝社

世界のトップ層は今、ウイスキーを教養として押さえています。翻って日本人の多くは、自国のウイスキーの話さえ満足にできません。世界は日本のウイスキーに熱狂しているのに、です。そこで本書では、「日本人とウイスキー(誰…

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