ウイスキー評論家が語る「ペリーが日本に持ち込んだ銘柄は…」

ウイスキーの本場といったらどこを思い浮かべるだろうか?イギリス、アメリカ――それだけではない。今、日本のウイスキーの評価はうなぎのぼりで、世界中の賞を総なめにしている。だが、肝心の日本人はその事実を知らない。しかし、それではもったいない――ウイスキー評論家の土屋守氏はそう語る。ここでは、ウイスキーをもっと美味しく嗜むために、日本のウイスキーの歴史や豆知識など、「ジャパニーズウイスキー」の奥深い世界観を紹介する。本連載は、土屋守著書『ビジネスに効く教養としてのジャパニーズウイスキー』(祥伝社)から一部を抜粋・編集したものです。

 

江戸時代末期、ペリーが黒船で来航した際にウイスキーが持ち込まれたと、ウイスキー評論家の土屋守氏は考える。種類はスコッチウイスキーとアメリカンウイスキーの2種類と推測されるが、銘柄は一体何か? 歴史を紐解きながら答えを探していく。

スコッチならば、モルトウイスキーのはず

ペリーが持ち込んだスコッチウイスキーとアメリカンウイスキーの銘柄について考察してみます。

 

まずはスコッチウイスキーから。現在、スコッチの消費量のおよそ9割をブレンデッドウイスキーが占めています。しかし、ペリーが持ち込んだのはブレンデッドではありません。グレーンウイスキー(トウモロコシや小麦、ライ麦など大麦麦芽意外の穀物も使用)とモルトウイスキー(大麦麦芽のみを原料に使用)を混合したブレンデッドウイスキーが登場するのは1860年以降のこと。1852年にアメリカを出発したペリー一行がブレンデッドを船に積むのは不可能です。

 

つまり、日本人に振る舞ったスコッチは、ブレンデッドが誕生する前に飲まれていたモルトウイスキーということになります。さて、そのモルトウイスキーの銘柄はなんだったのでしょうか。文献がないため憶測になりますが、グレンリベットのウイスキーだった可能性が高いと、私は考えています。

ペリーは、どのような航路で日本にたどり着いたのか

私がそう考える理由は、ペリー一行の航路にあります。アメリカを出発したペリー一行がどのような航路で日本にたどり着いたのか、皆さんは考えたことがありますか。彼らが出発したノーフォーク軍港はアメリカの東海岸にあります。私はてっきり、ノーフォーク軍港から南下して北アメリカ大陸と南アメリカ大陸の間にあるパナマ運河を通り、太平洋を横断して日本に来たものだと思っていました。

 

ところが、実際はそうではありませんでした。パナマ運河の開通は1914年。ペリーたちは北アメリカ大陸と南アメリカ大陸の間を通ることができなかったのです。また、南アメリカ大陸はそのころ発展途上で、南アメリカ大陸をぐるっと回って太平洋に出る航路を選んだ場合は、補給の心配がありました。つまり、ペリー一行は大西洋を横断するほかなかったのです。

 

(※写真はイメージです/PIXTA)
(※写真はイメージです/PIXTA)

 

 

ノーフォーク軍港を出た船団は大西洋を横断し、アフリカ大陸の西側を南下(このころはスエズ運河もありません)。途中、セントヘレナ島、ケープタウンなどに寄港しながらインド洋に出て、セイロン、シンガポール、香港、上海を経由して琉球にたどり着いています。ペリー一行が、スコッチのモルトウイスキーをアメリカで積み込んだとは考えられません。当時の世界情勢や時代背景を踏まえると、そのころ、アメリカにスコッチのモルトウイスキーが出回っていた可能性は非常に低いからです。

 

 

可能性があるとしたら香港でしょう。このころの香港にはヨーロッパの商社がたくさんありました。そのなかで最も規模が大きかったのがジャーディン・マセソン商会です。スコットランド人のウィリアムズ・ジャーディンとジェームズ・マセソンが1832年に設立した同商会は、茶や生糸(きいと)の買いつけ、アヘンの密貿易などで大きな利益を出し、香港のほか、上海などアジアにも支店を展開していました。

 

ミシシッピ号でノーフォク軍港から出港し、大西洋を横断したペリーは、上海でサスケハナ号に旗艦を移し、浦賀に来航した
ペリーの浦和来航までの経路 ミシシッピ号でノーフォク軍港から出港し、大西洋を横断したペリーは、上海でサスケハナ号に旗艦を移し、浦賀に来航した

 

ちなみに、長崎のグラバー邸でおなじみのトーマス・グラバーは、ジャーディン・マセソン商会の元従業員です。スコットランド出身のグラバーは、1859年に上海でジャーディン・マセソン商会に入社。同年9月に長崎に渡り、同商会の長崎代理店として「グラバー商会」を設立しました。

 

話を元に戻しましょう。二人のスコットランド人が興したジャーディン・マセソン商会は、当然、本国スコットランドから香港へとウイスキーを輸入していたはずです。そして、このころスコットランドでたいそう評判となっていたウイスキーがあります。それが、エディンバラの酒商アンドリュー・アッシャーがソロエージェントとなっていた〝スミスのグレンリベット〟、今のザ・グレンリベットです。スミスというのはグレンリベット蒸留所の創業者、ジョージ・スミスのことです。

ウイスキー文化研究所代表 ウイスキー評論家

1954年、新潟県佐渡生まれ。学習院大学文学部国文学科卒業。フォトジャーナリスト、新潮社『FOCUS』編集部などを経て、1987年に渡英。1988年から4年間、日本語月刊情報誌『ジャーニー』の編集長を務める。取材で行ったスコットランドで初めてスコッチのシングルモルトと出会い、スコッチにのめり込む。
日本初のウイスキー専門誌『The Whisky World』(2005年3月-2016年12月)、『ウイスキー通信』(2001年3月-2016年12月)の編集長として活躍し、現在はその2つを融合させた新雑誌『Whisky Galore』(2017年2月創刊)の編集長を務める。
1998年、ハイランド・ディスティラーズ社より「世界のウイスキーライター5人」の一人として選ばれる。主な著書に、『シングルモルトウィスキー大全』(小学館)、『竹鶴政孝とウイスキー』(東京書籍)ほか多数。

著者紹介

連載ウイスキー評論家が語る!日本人が知っておきたいジャパニーズウイスキーの奥深い世界

ビジネスに効く教養としてのジャパニーズウイスキー

ビジネスに効く教養としてのジャパニーズウイスキー

土屋 守

祥伝社

世界のトップ層は今、ウイスキーを教養として押さえています。翻って日本人の多くは、自国のウイスキーの話さえ満足にできません。世界は日本のウイスキーに熱狂しているのに、です。そこで本書では、「日本人とウイスキー(誰…

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