1週間の食事拒否で修行僧のような生活に入る
■エピソード17
ご先祖さまは有名な歴史上の人物。元裁判官の話
Iさんは96歳の男性、要介護1の認定を受けていますが、ホーム内での扱いは自立です。奥さまと入居しています。ちなみに、奥さまは、軽度の精神疾患を患っていますが、いたって健康、毎日外出をしてアクティブに過ごしています。実は、Iさんの先祖は、日本の歴史に出てくる著名人です。誰もが学校の日本史の時間に一度は目にする歴史上の人物。
Iさんは、元裁判官です。正確に言うと、裁判所を退官し、公証人としてしばらく働き、最後は弁護士になったそうです。とにかく無口で、誰も話し声を聞いたことがないのでは? と思うほど、言葉を発しません。奥さまによると、昔から必要最低限のことしか話さなかった人なので気にしなくていい、その分自分がおしゃべりだからと言って笑っています。
そんなIさんですが、困ったことが一つあります。それは、ハンストを定期的に実施することです。1週間にわたり食事を拒絶し、修行僧のような生活に入ります。奥さまによると、若い時から、定期的に断食をすることが健康法だったと言い、心配する気配もありません。しかし、高齢ということもあり、さらに、ホームの看護師の見解では、単なる自主的な断食ではなく、認知症状に起因する一つの症状ではないか?と疑っています。主治医に確認しても、いつも1週間程度で終わるのだから、心配する必要はない、水分補給だけ気にかけておけば良いのでは? と言って取り合ってくれません。
そんなある日、いつものように食事の拒否が始まります。奥さまに報告すると、「そろそろ始まると思っていたのよ」と言って、いつもの調子でデパートに買い物に出かけていきます。断食が始まり4日が経ったとき、奥さまが血相を変えて看護師のところに来ました。「主人がベットから起きてこないのよ」と。看護師が駆けつけるとIさんは仰向けにベッドに寝ています。目を閉じて微動だにしません。看護師が呼びかけると、うっすらと目を開け、看護師を確認するとまた目を閉じてしまいます。いつもは楽天的な奥さまが、何かいつもと違う異変を感じ取ったのか、看護師に「何とかしてください」と懇願しています。
血圧を測ると少し低いようです。先生に連絡をとって指示を仰ぎます、と言って居室を出ていきます。しばらくして看護師が点滴セットを引きずりながら居室に入ってきました。奥さまに対し「医師より点滴指示があったので点滴を始めます」と説明します。
ここからが大変です。Iさんは、突然ベッドから起き上がり、点滴をやらせまいと抵抗します。看護師との押し問答が続きます。とはいえ、Iさんはしゃべりません。体だけで抵抗しています。奥さまが「お願いだから看護師さんの言うことを聞いてください」と懇願しますが、抵抗は止みません。ことの次第を聞きつけた他の看護師が加勢に入ります。その日は、運よく大学病院の救命救急で長年働いていた看護師も出勤していました。彼女は抵抗するIさんに対し、まったくお構いなしと言った具合で、力ずくで、ねじ伏せてしまいます。手早く針を手首に留置し、点滴を開始、Iさんに対し「子供じゃないんだから手を焼かせない」と、お説教が始まります。人の命を助けるためには、多少手荒なこともいとわない、救命救急の看護師は、やはり肝が据わっています。遠慮というものがないようです。