無口な元うどん店主が語った繁盛店の秘密
普段無口なDさんが私を諭すように話を続けてきます。
「商売とは、地域特性を考え、地域に合ったサービスを提供することが重要なんだよ。自分が群馬県の田舎から出てきて、最初に店を出したのは横浜の京浜工業地帯のT地区。ここは工場で働く工員さんがたくさんいるから、安くて量が多くなければ流行らないんだ。だから、全部のメニューを大盛りにして、料金を少し安くしたんだ。さらに、うどんだけでは工員さんは物足りないから、ライスをつけて、てんぷらやお刺身をつけて、とにかくボリュームを大きくしたメニューにしたんだ」
私は話を聞きながら、今でこそ「XX御膳」という名前のセットメニューを提供している店はめずらしくないが、もしかしたら彼がその元祖かもしれないと思いました。そんなつもりで話をしたわけではないと思いますが、彼の話は、間違いなくマーケティングの重要性と顧客満足度の向上の話だったと思います。
ホームにいる時は、自分の足で歩けるのに、わざと車椅子に乗っているDさん。誰も見ていない時は、車椅子を降りて自由に歩いているお茶目さん。毎朝4時に起きて、必ず1階の食堂に行き、まだ朝食の時間ではないことを確認してから居室に戻り、時間が来るまでもう一度寝ます。職員に自分の用事を頼む時は、必ず缶コーヒーを1本くれます。温厚で人との争いごとが大嫌いな彼は見た目は、単なる「うどん屋のおやじ」にしか見えませんが、商売で成功したのには、それなりの理由があったということだと思います。
そんなDさんとも永遠のお別れをしなければならない時が来ます。心臓の持病が悪化し近くの総合病院に入院しました。医師から「年齢を考えるとそろそろ限界」という診断を受けました。Dさんの「ホームに帰りたい」というたっての希望で、病院を退院、ホームに戻ってきました。病院へのお迎えは、たまたま、シフトの関係で私が寝台車で行きました。意外と元気そうな彼を車椅子のまま、寝台車に乗せて一緒にホームに戻ります。病院の看護師さんが「ホームに帰ることができて良かったですね」と言っていますが、返事はしません。耳が遠く聞こえていないのか、それとも聞こえないふりをしていたのかは定かではありませんが、自分に着目されることが好きではない彼の性質を考えた場合、聞こえないふりをしていたのだろうと思っています。
90歳を過ぎた年寄りにしかできない芸当なのでしょう。特別な感情は湧き上がりませんでしたが、家ではなく、「ホームに帰りたい」と言ってくれたことは、介護職員にとって、これ以上はないご褒美だと思いました。