入居者にとって居心地がいい老人ホーム
以前、私が介護職員として働いていた時の話です。そこは、いわゆる富裕層をターゲットにしていた高級ホームでした。そこに、ある有名な大企業の元会長Aさんが入居してきました。一般に高級ホームとそうでないホームとの違いは、調度品などのインテリアや設備などの「質」にもありますが、一番の違いは、ホームに配置されている介護職員の「数」の差です。
当然、高級ホームのほうがその高級度合に応じて介護職員の配置人数は多く、その分、手厚い介護サービスが可能になります。Aさんの家族も「うちのお父さんは、我儘で手がかかるから職員が多くて至れり尽くせりのほうが、きっと合っているに違いない」と考え、高級ホームへの入居を決めました。
しかし、実際にAさんが入居してみると、さほどの用件でもないのに介護職員が入れ替わり立ち替わり居室を訪れ、Aさんの世話を焼きます。「ご気分はどうですか」「何かお手伝いすることはありませんか」「食事の時間です。食堂に行きましょう」「入浴は明日の10時からです。着替えを用意しておきます」「水分補給は大切です。たくさん水を飲んでくださいね」などと、ひっきりなしです。
最初の頃は、まんざらでもなかったAさんでしたが、そのうちこの職員訪問を煩わしく思うようになりました。しまいには「用事があれば呼ぶので来ないでほしい」「一人にしてほしい」と、ホーム側に訴える始末です。
さらに、飲酒や喫煙の習慣があるAさんの場合、飲酒時や喫煙時のルールが事細かに決まっていたことも窮屈だったようです。結局、Aさんは数カ月でこの高級ホームを退去してしまいました。
最終的に、Aさんが落ち着いた終の棲家は、きわめて庶民的な価格の、どこにでもある普通の老人ホームでした。元会社員や元職人さんも多く入居し、毎日庭に面した縁側で彼らと将棋を指したりテレビで相撲を見たりと、気楽な生活を謳歌しています。当然、職員配置数も少ないので、自分でできることは全部自分でやらなければ誰も手伝ってはくれません。
先日も、職員に用事を頼んだのですが、職員も忙しいので、すかさず「Aさんは身体に障害があるわけではないので、自分でできるでしょ。自分でできることは自分でやらないと、そのうち身体の自由が利かなくなってしまいますよ」と介護職員に言われたと、まんざら不愉快でもない様子だったそうです。
どちらのホームが正しいのか、ということではありません。どちらのホームが入居者にとって居心地が良いのか?性に合っているのか?ということなのです。Aさんの場合、経済的に恵まれていたため、高級ホームに入居する能力がありましたが、相性で言えば庶民的なホームのほうが合っていたということなのです。
もちろん、至れり尽くせりで、なんでもやってくれるホームのほうが向いている高齢者も多くいますし、経済的な事情が許せばそのようなホームに入りたいと考えている高齢者も多いはずです。
要は、単純に富裕層だから高級ホームに入ることが本人の幸せだと考えることが、必ずしも正しい選択とは限らないということなのです。そしてこれこそが、ホーム選びの真骨頂なのです。
小嶋 勝利
株式会社ASFON TRUST NETWORK 常務取締役