たとえば、治癒の見込みがなく、余命が限られている場合、事実を知らせてほしいのか、あるいは延命措置をしたいのかといったことに対し、自分で決めることができるかどうかを考えてみるとわかりやすいと思います。
今は医療技術の発展とともに治療の選択肢も年々増えており、自分はどうしたいのか、どんな最期を迎えたいのかといった決断を迫られることが多々あります。そんなとき、人任せにするのではなく、自分で決断できる能力が求められているのです。
日本人は昔から協調性を重んじるように教育され、また「世間体」を基準に人からどう
見られるかを重視して行動してきたため、自分で決めることがあまり得意ではありません。
みなさんのなかにも、自分の意見を主張するより、誰かが決めてくれたことに従うほうが
楽でいいと考える人は少なくないはずです。しかし、最後まで自分らしく生きたいのであれば、自分の生命にかかわる事柄について自ら決める精神的自立が求められます。
しかも精神的自立は、身体的自立や生活的自立と異なり、寝たきりになっても、あるいは人の助けを受けながら生活することになったとしても、意識がある限り、最後まで保持することができるのです。
自分はどう生きたいのか、どんな最期を迎えたいのか、元気なときから考えておくこと
が、精神的自立にはとても大切です。
終活とは、亡くなった後のお葬式やお墓について考えることだけではありません。終活をおこなう意味は、これからどのような人生を送り、どんな最期を迎えたいかを考え、そのために準備しておくことは何かを知ることにあります。それによって、みなさんが漠然と抱えている不安が解消されていくのです。
小谷みどり
シニア生活文化研究所代表理事