なぜ渋谷区大山町は、高級住宅地になったのか?
小田急小田原線「代々木上原」。東京メトロ千代田線も乗り入れ、交通至便な街として人気ですが、もともとは郊外の農村で、1927年に駅が開業してから、一気に宅地開発が進みました。大きな商業施設などがないためか、街には落ち着いた空気が流れ、隠れ家的なレストランやカフェ、ギャラリーなど、高感度なショップがいくつも点在していることから、どこか洗練されたイメージが浸透しています。
その代々木上原のある渋谷区では、良好な住環境を保全、維持することを目的に「土地利用調整条例」を制定しています。なかでも第1種低層住居専用地域のうち、恵比寿3丁目、広尾2〜3丁目、松濤1〜2丁目/神山町、富ヶ谷1〜2丁目などの13地域について、建築物の敷地面積の最低限度を設定。つまり、限度以下に細かく仕切ってはいけないという最小面積を指定しているのです。
代々木上原周辺では、まず駅の南側、井の頭通りを渡った上原2〜3丁目が対象地域に指定されています。もうひとつ指定されているのが、大山町。駅の北西のエリアで、建築物の敷地面積の最低限度は150平米とされています。
地域の東端近く、井の頭通りに面しているのが、2000年に竣工した日本最大のモスク「東京ジャーミィ・トルコ文化センター」。オスマン・トルコ様式の石造りの建物はドームと尖塔が美しく、最大2,000人収容の規模。東京にいながらイスラム文化を感じられる場所として親しまれています。
そして井の頭通りを挟むエリアが大山町で、大邸宅が建ち並ぶ、知る人ぞ知る高級住宅地です。
ここは渋谷区の中でも標高が最も高い地域で、かつては鬱蒼とした森が広がる場所でした。そんな土地を切り開き、農園に変えたのが、桂小五郎、明治維新の三傑である木戸孝允(桂小五郎)です。