ルールが存在「たかが配膳、されど配膳」
食事の配膳時に、隣りにいる介護職員に対し「〇〇さんはどこに座っていますか」と聞き、隣りの介護職員から「3つ目のテーブルに座っている白いシャツを着ている女性です」と教えてもらっていては仕事になりません。介護職員は、〇〇さんを目指して一直線に食事を持っていかねばならないからです。
ちなみに、多くの老人ホームの場合、食事のメニューは原則全員同じです。しかし、中身には違いがあります。特定の疾患により塩分、油分、糖分などに摂取限度がある入居者のために、制限内で個別に食事が作られています。さらに、アレルギーなどを持っている入居者などは「青魚は禁止」というようなケースも多く存在しています。また、服薬している薬の種類によっては「グレープフルーツは禁止」というような、禁止食材を持っている入居者もいます。
したがって、配膳一つとってみても、ルールは詳細に決まっていて、慎重に実施する必要があるのです。隣りの介護職員に「〇〇さんはどこに座っていますか?」なんて聞いているようでは、誤って違う人に違う食事を配膳してしまうリスクと常に隣り合わせ、ということになるのです。たかが配膳、されど配膳ということです。
このような複雑なルールの下、介護職員が仕事をスムーズに実行するために、条件があります。50人の顔と名前を少なくとも暗記するまでは一人前の仕事はできません。つまり、50人程度のホームの場合、1カ月間ぐらいは、どんなベテラン介護職員であっても、自分の力を100%発揮することはできないということになります。
老人ホームの実態を理解していただくために付け加えておきますが、万一、配膳を間違えた場合、健康を害する可能性があることは当然ですが、それ以外にも入居者が不穏状態になり、一つ間違えば楽しいはずの食事が台無しになってしまうこともあります。
特に、認知症の高齢者の中には、イレギュラーな事態に上手く対応できない人も多くいて、いつもと違う食事が出されたということだけで、パニックになってしまうケースも珍しくはありません。いつも付いている「ヨーグルトが付いていない」「ジャムがない」とか、逆に「牛乳が付いている」という些細な理由で大騒ぎになります。さらに、一人のパニックが他の入居者にも連鎖し、想像を超える事態になってしまうこともあります。
人の生活を支えるだけの仕事。この漠然とした、誰にでもできる仕事の、実に難しいところだと私は思っています。
しかし、このきわめて情緒的な、仕事に対する成果と報酬を強引に結び付けて、適切なサービスだったとか、不適切な介護支援だったとかと判断するのは難しいことです。ましてや、それを合理的に評価し報酬に落とし込むことはさらに難しい、と私は考えています。
実は、この問題こそが、介護保険制度に潜んでいる大きな課題であり、医療保険制度とはまったく性質の違うところなのです。今後、医療保険制度と同じような感性で介護保険制度の整備を進めていくと、介護保険制度の最終形は殺伐としたものになってしまうでしょう。
小嶋 勝利
株式会社ASFON TRUST NETWORK 常務取締役