転勤命令を拒絶する介護職員がいる理由
このような軽微な通勤時間の変更しか伴わない転勤に対し、なぜ、介護職員は難色を示し、中には退職をしたくなるところまで追い込まれなくてはならないのでしょうか?
理由は2つあります。一つは前記の「疑似家族関係」が成り立っていて、入居者(家族)と離れたくないという心理から来る拒絶です。もう一つは、ホームが変わると“いわゆる介護流派”が変わるので、今までの経験(ホーム内で積み上げてきた地位や実績)がゼロになってしまい、もう一度、ゼロからやり直さなくてはならないからです。
同じ会社であるにもかかわらず「流派が違う」ということが、本当にあるのだろうか?と思う読者も多いかもしれませんが、実際は、同じ会社内でもホーム長や施設長が違うだけで、運営上の介護ルールは大きく違ってくるものです。
さらに、入居者の質や特徴など個別事情も変わるので、ほとんどの場合、転勤は常に“新入職員”の立場を思い知らされることになります。
端的に申し上げると、既存ホームでは自由に振る舞うことができる立場にあった者でも、転勤で新しいホームに異動になった場合、いくら社歴が古くても常に“新参者”という扱いを受けることになるのです。
具体的な事例で考えてみることにしましょう。少しは介護職員の気持ちも理解できるかもしれません。
現在、50人規模の老人ホームに従事している介護職員が、隣町にある100人規模の老人ホームに転勤になったとしましょう。この介護職員は、新たに転勤先の老人ホームにいる100人の入居者やその家族らの事情を理解することから始めなければなりません。
私は、よく自分のセミナーなどで、医療従事者と介護従事者との違いについて説明し、介護職員は原則全員正社員で構成することが望ましく、派遣などはもってのほかであると言っています。
理由について説明します。医者や看護師は、いつ、どこの病院に入職しても“カルテ”という共通言語のツールが存在しているので“カルテ”を見れば、すぐに自分の能力を100%発揮することが可能です。したがって、日替わりの派遣医師や看護師でも、通常業務は十分に遂行することができます。
介護職員の場合はどうでしょうか。老人ホームの場合、病院のカルテと同じような位置づけにあるものが「介護記録」や「介護日誌」、「ケース記録」になると思います。さらに、業務マニュアルや業務基準書という、業務を実践するための手順書も多くのホームでは存在します。しかし、いくらこれらの資料を読み込んで、入居者個人や老人ホーム、事業所のルールを理解したところで、介護実務を実践することはできません。
仮に、昼食時に食堂で、50人の入居者が同時に食事をするホームだとします。主な食事支援業務は、食事の配膳と下膳、食事や水分の摂取量の管理及び服薬管理、安全管理になります。冷静に考えてみてください。前記したようなことをすべて頭に入れたところで、はたして食事の配膳はスムーズにできるでしょうか? 「まったくできません」が、その答えです。入居者全員の顔と名前を完全に把握できている状態になるまでは、仕事にならないからです。