バブル崩壊と高齢化、超円高、金融危機の幕開け
これは日本のさまざまな統計指標に如実に表われています。
まず生産年齢人口という15歳から64歳までの、いわゆる「働き手」と呼ばれる人口が、96年から97年頃をピークに減少を始めます。日本の総人口が減少を始めるのは2010年頃まで待たなければなりませんが、生産年齢人口は、総人口よりも一足お先に減少を始めます。しかも減少幅は毎年100万人程度にも及び、日本社会が急速に「超高齢化社会」を迎えることを警告し始めたのが、このころです。
経済情勢としては、95年から日本は「超円高」時代を迎えます。この年の3月には、円はついに1ドル80円台に突入、4月には一時79円台を記録するなどの激しい円高に見舞われます。
輸出型産業の多い日本で、この暴力的な円高は、中小企業のみならず大企業の収益をも直撃しました。製造業の多くが、アジアに生産拠点を移転し始めるのもこの超円高が契機となりました。
平成バブル時代の不良債権問題が顕在化するのもこのころです。個人向け住宅ローンを専門に取り扱う住宅金融専門会社(住専)は、バブル時代に野放図に貸し付けた不動産業者向け貸付債権が、不動産担保価値の急落とともに次々と不良債権化、住専全体で6.4兆円もの不良債権の存在が明るみに出ました。
さらに97年には大手証券会社の一角であった山一證券、続いて都市銀行である北海道拓殖銀行などの大手金融機関が破綻に追い込まれるなどの「金融危機」が到来します。
一種の社会不安ともいえるこうした現象の続出は、すでに平成バブル崩壊で明日への不安を感じ始めていた人々の意識を大幅に萎縮させるものとなります。
95年から96年にかけては、ついに全国百貨店の売上高は、全国スーパーマーケットの売上高に逆転されます。人々は、それまであたりまえのように身に着けていたルイ・ヴィトンのバッグやジョルジオ・アルマーニのスーツをしまい、高級ホテルやレストランで若い女の子たちを「接待」することをやめ、「アッシー」役として乗り回していた「BMW3シリーズ」を売り飛ばしたのでした。
時代を反映する社会現象として、ヘルシーで何といっても値段が安い「もつ鍋」が 大流行し、中野孝次の著書『清貧の思想』がベストセラーになるなど、時代の価値観は大きな変化を遂げていきました。
日本社会は、バブルで緩みきった身体から次々と出てくる膿に驚愕し、社会全体が底知れない不安に覆いつくされていきます。そんな中、バブル崩壊後の不動産についても、実は密かに大きな「構造転換」が進み始めるのです。