どこの街に住むかの選択は、仕事やプライベートに大きな影響を与える。さらに家賃が家計支出の大きなウェイトを占めることを考えると、居住地は資産形成までも左右するといえる。総合的に考えて住みやすい街はどこなのだろうか? 20代後半から30代前半の単身会社員の住み心地を考えていこう。今回取り上げるのは、東京メトロ日比谷線とJR京葉線「八丁堀」。

オフィス街・八丁堀に伝わる、街の七不思議…

「八丁堀」は東京都中央区に位置する、東京メトロ日比谷線とJR京葉線の接続駅です。東京メトロ駅の1日の乗降者数は12万人弱、JR駅の乗車数は1.2万人強。駅の歴史はそれほど古くなく、東京メトロ駅は1963年に、JR駅は1990年にできました。

 

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八丁堀の地名は、まさに江戸時代に築かれた堀である、八丁堀に由来します。丁(=町)は距離の単位(1丁は約109.09m)。現在の京橋ジャンクションから桜橋第二ポンプ場付近に至る堀でした。しかし8丁は872mほど。実際の堀は700mほどで、100m以上足りません。古地図を確認してみると、八丁堀の先に2本の突出部が確認できます。そこから八丁堀の水路を合わせた部分が八丁ほどあったことから、八丁堀となったといわれているのです。

 

八丁堀は1972年に埋め立てられましたが、かつてあった稲荷橋は歩道に欄干が残されるなど、当時の痕跡を見ることができます。

 

そんな八丁堀には、街にまつわる「七不思議」が伝わっています。それは、江戸時代、与力・同心(与力は奉行などの配下で、上官の補佐役。与力の配下に、それぞれ数人の同心をもっていた)の組屋敷があった八丁堀の様子を伝えるものです。そのいくつかを紹介しましょう。

 

「寺あって墓なし」:もともと多くの寺院があった八丁堀ですが、明暦の大火を機に「玉円寺」を残しすべて移転。玉円寺は墓を持たなかったことから、このようにいわれるようになりました。

 

「奥様あって殿様なし」:与力・同心は薄給で生活が苦しかったため、与えられた土地の一部を貸して生活していました。そのため八丁堀は、武家地でありながら町地として扱われてていたそうです。彼らへの信頼は厚く、町人は「奥様」の対語である「殿様」ではなく、「旦那」と呼んでいたことから、このようにいわれるようになりました。

 

「鬼の住居に幽霊が出る」:茅場町1~2丁目にあった与力の屋敷には高い板塀があり、その先は恐ろしく暗い道になっていたとか。そこでは毎晩首まで白く塗った幽霊が、通行人に声をかけていた……。幽霊とは、夜の世界で働く女性たちだったといわれています。

 

江戸町人の生き生きとした伝承が残る八丁堀ですが、現在は、東京・八重洲から続くオフィス街。小~中規模のビルが整然と並び、本社を構える上場企業も多いエリアです。

 

一方で、単身者向けを中心にマンションの進出も目立つ地域でもあります。「東京」駅から徒歩でもアクセスでき、日本を代表する商業地「銀座」も生活圏内。抜群の利便性を兼ね備えた居住地として、注目が高まっています。

 

東京・八重洲まで徒歩15分、自転車であれば5分ほど
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