ビジネスで海外の人々と関わる際、自国の歴史の知識は必須だといえます。しかし、日本人が注意しなくてはならないのが「外国人に関心の高い日本史のテーマは、日本人が好むそれとは大きく異なる」という点です。本連載は、株式会社グローバルダイナミクス代表取締役社長の山中俊之氏の著書『世界96カ国をまわった元外交官が教える 外国人にささる日本史12のツボ』(朝日新聞出版)から一部を抜粋し、著者の外交官時代の経験をもとに、外国人の興味を引くエピソードを解説します。

ジョン万次郎、日本よりも米国で有名なワケ

江戸時代の庶民が活躍した一例として、船乗りが嵐などで難破して漂流し、他国に到着した漂流民があげられます。

 

船乗りや漁師であった漂流民は身分的には高くはありませんでした。しかし、漂流して米国やロシアなどで現地の言葉を学び現地の人々と交流してきた人も多くいました。

 

将軍や老中がこれら漂流民から現地の情勢を調査しようとしたのです。

 

有名な漂流民としては、土佐のジョン万次郎があげられます。ジョンと呼ばれた理由は、助けてくれた米国捕鯨船の名前がジョン・ハウランド号であったからです。

 

幕末から維新にかけては幕臣にもなり、開成学校(現在の東京大学)の教授にまでなりますが、元は土佐の貧しい漁師でした。文字も書けなかったといわれています。

 

開成学校(現在の東京大学)の教授にまで上り詰めた万次郎、出身は土佐の貧しい漁師だった
開成学校の教授にまで上り詰めた万次郎、出身は土佐の貧しい漁師だった
※写真はイメージです/PIXTA

 

封建時代、身分制がある中で、明治維新という時代の大きな変化を経ているとはいえ、自らの努力で出世したスーパーヒーローです。

 

この万次郎は、実は日本よりも米国で有名です。

 

2010年に刊行された児童文学作家・マーギー=プロイスによる小説‶Heart of a Samurai”(日本語版は、金原瑞人訳『ジョン万次郎 海を渡ったサムライ魂』)が大反響を呼び、ベストセラーになりました。そのことで米国での知名度がとても高く、米国の中高生からは親しみを込めて「ジョンマン」と呼ばれているのです。

 

当時の白人優位の米国にあって、差別を受けながらも、前向きに刻苦勉励する姿は米国人を感動させるのです。移民やその移民によるダイバーシティを重視する米国文化にフィットするのだと考えられます。

 

貧しい漁師の子として生まれた万次郎は、早くに父を亡くし、苦労して生計を立てていました。しかし14歳で船は難破して、伊豆諸島の無人島に他の乗組員と一緒に流されてしまいます。たまたま通りかかった米国の捕鯨船に助けられ、乗船します。万次郎は自らの希望により、ハワイで他の日本人乗組員と別れただ1人、米国に向かいます。おそらく米国本土に初めて渡った日本人となりました。

 

米国では、万次郎のことがファースト・ジャパニーズと紹介されることも多いようです(余談ですが、ファースト・レディにアメリカ・ファースト…。米国はファーストという言葉を好んで使います)。米国では現地の学校で英語や数学、航海術や測量を刻苦勉励して学業で優秀な成績を収める一方、捕鯨船の船員となって収入を得ました。当時米国で繁栄をしていた金鉱でも働きます。その後、お金を貯めて帰国を決意。当時独立しており鎖国をしていない琉球王国(現沖縄)にまず入り、その後琉球王国から薩摩に渡りました。

 

薩摩では当時の藩主・島津斉彬(なりあきら)に会い、随分と重用されました。

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世界96カ国をまわった元外交官が教える 外国人にささる日本史12のツボ

世界96カ国をまわった元外交官が教える 外国人にささる日本史12のツボ

山中 俊之

朝日新聞出版

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