庶民の「教育レベル」が高かった江戸時代
知日派の外国人と議論すると、明治維新における改革を高く評価する人がたくさんいることがわかります。身分制の廃止、信教の自由、議会制の開始、憲法制定。確かに明治維新後の改革によって現在に繋がる近代日本が始まったと考えられる根拠はあります。
しかし、明治以降の発展の土壌は江戸時代にありました。
特に、江戸時代の庶民の教育レベルの高さは特筆すべきものでした。
戦国時代の1549年に日本にやってきた、カトリック教会の司祭で宣教師のフランシスコ=ザビエル。彼はインドのゴアのカトリック伝道の拠点に宛てた手紙で、自身の鹿児島での経験から、日本は読み書きのできる者が多いので伝道に有利であると述べています(大石学著『江戸の教育力』)。
以前ルワンダで「日本の経済発展」について講演をした際に、江戸時代における日本の教育レベルの高さについて話をしました。200年も前の封建時代に一般庶民の識字率が高かった事実は大変に驚きをもって受けとめられました。
江戸時代には、武士が城下町に集められ、武士が居住しなくなった農村の農民とは文字によるやり取りを行うようになりました。農村にも読み書きの能力が求められるようになったのです。寺子屋が広がり、庶民も読み書き、算盤を学ぶようになりました。
「身分に囚(とら)われた封建時代」というネガティブな観点からのみ見ると、江戸時代については大きく見誤ってしまいます。
学問によって、身分を飛び越えられるようになった
江戸時代になると、士農工商という身分制が生まれました。誤解してはいけないのは、これらの身分は必ずしも固定化されたものではなかったことです。
女性の場合は結婚により身分が変動することがありました。また、例えば、上流武家の出身でなくても側室とは別の形で大奥に入って出世し、江戸幕府13代将軍徳川家定・14代家茂時代の将軍付御年寄に任じられた瀧山(たきやま)のように大名クラスの男性らと対等に話をする女性もいたのです。
男性の場合でも、例外的ではありますが、才能があれば農民から武士へ取り立てられることもありました。また、身分そのものは変わらなくても、同じ農民や商人階級の中で、個人の才覚で富裕になったり、貧困化したりすることもあったのです。
その経験をしたのが、相模国の農民から農政家・思想家となった二宮尊徳(にのみやそんとく)です。