ビジネスで海外の人々と関わる際、自国の歴史の知識は必須だといえます。しかし、日本人が注意しなくてはならないのが「外国人に関心の高い日本史のテーマは、日本人が好むそれとは大きく異なる」という点です。本連載は、株式会社グローバルダイナミクス代表取締役社長の山中俊之氏の著書『世界96カ国をまわった元外交官が教える 外国人にささる日本史12のツボ』(朝日新聞出版)から一部を抜粋し、著者の外交官時代の経験をもとに、外国人の興味を引くエピソードを解説します。

 

華岡青洲は、江戸時代中期の1760年、紀伊国で医者の息子として生まれました。そして、早くに京都に出て医学を学びます。手術で患者を助けたいという思いが強く、紀州に帰郷後、麻酔薬の開発に従事します。母親と妻の献身により、母親の死亡、妻の失明という極めて大きな犠牲を払いながらも麻酔薬の開発に成功します。

 

そして、1804年、全身麻酔状態で乳がんの手術を行い、がん自体の摘出に成功するのです。当時としては、信じがたい快挙であったはずです。欧米諸国でも、がんの手術はされていましたが、全身麻酔がなく、大きな痛みを伴うものでした。日本は麻酔手術という分野で世界に先駆けたのです。

 

数学の分野では、関孝和(せきたかかず)が大きな成果を残しました。関は円周率を小数点以下11位まで求めます。これは当時世界で誰も成し遂げられなかったことです。

 

我々は、科学は欧米が牽引したと思いがちです。しかし、実際は、江戸時代、日本でも独自に発展したのです。

 

もし江戸時代にもノーベル賞があったなら、東洋の片隅にある日本人科学者が受賞していたかもしれません。

江戸時代は「書物の時代

社会の教育レベルを測る一つの指標として、出版された本の数や売れた本の数があります。他国と正確に比較できる明確な数字までは残っていないようですが、この本の数においても江戸時代の日本は世界的に見て突出して多かったと推測されます。

 

16世紀にキリスト教の宣教師によって活字印刷がもたらされ、さらに豊臣秀吉の朝鮮出兵により朝鮮から銅活字がもたらされました。その後発展したのは、木版印刷でした(田尻祐一郎著『江戸の思想史』)。

 

日本の商業出版が始まったのは江戸時代初期の京でした。その後、大坂や江戸にも広がり、漢籍、仏典、『太平記』などの軍記歴史もの、『源氏物語』など物語も多数出版されました。

 

大坂では井原西鶴(いはらさいかく)の『好色一代男』などの浮世草紙(うきよぞうし)と呼ばれる文芸形式の本、近松門左衛門の浄瑠璃本などが出版されて、広く町人に読まれました。多くの部数が販売されていることから価格も手ごろだったのでしょう。

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世界96カ国をまわった元外交官が教える 外国人にささる日本史12のツボ

世界96カ国をまわった元外交官が教える 外国人にささる日本史12のツボ

山中 俊之

朝日新聞出版

ビジネスで海外の人々と関わるのであれば、自国の歴史の知識は必須だ。しかし外国人に関心の高い日本史のテーマは、日本人が好むそれとは大きく異なる。本書は海外経験豊富な元外交官の著者が外国人の興味を引くエピソードを解…

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