『なぜ僕は「ケニアのバラ」を輸入したのか?』(幻冬舎MC)を上梓した小林邦宏氏は、「東大から財閥系商社」というキャリアを投げ捨て、アフリカ・ケニアのバラ農園との取引をたった一人で開拓した。日本企業がほぼ入っていない国で、どうやってビジネスチャンスを掴んだのか。本連載では、同氏の軌跡を追っていく。

農業フェア会場の片隅で咲いていた、ケニアのバラ

僕のビジネスのなかで、皆さんに最もよく知っていただいているのが、花の輸入です。オンラインストア「世界の花屋」のチーフバイヤーとして、ケニアなどに花を仕入れに行く様子が、NHKの『世界はほしいモノにあふれてる』という番組で特集されたため、僕を単なる花屋だと思っている人は多いことでしょう。

 

 

NHK総合「世界はほしいモノにあふれてる」収録風景。
NHK総合「世界はほしいモノにあふれてる」収録風景。

 

実際は、花だけではなく、水産品や美容オイル、レジ袋などさまざまな商材を扱っているのですが、いずれにせよそうして注目していただけるというのは、ありがたいことです。

 

まずは番組でも取り上げられた、「ケニアのバラ」との出会いと、ビジネスとして花を扱うようになった経緯から記していきたいと思います。

 

ケニアという国については、バラを買い付ける前から、もともと多少の知見がありました。以前、水産業の商材として、ナイルパーチという魚を仕入れていたことがあったからです。

 

ちなみにナイルパーチはスズキ目アカメ科に属する大型の淡水魚で、アフリカ大陸熱帯域の川、塩湖、汽水域に生息しています。アフリカでは重要な食用魚であり、多くがヨーロッパや日本に輸出されます。日本では安価な白身魚として流通し、フライなどで使われることがよくあります。

 

ただし、このナイルパーチの商売からつながって、ケニアのバラを見つけたのかといえば、そうではありません。あくまで「ケニアに関する知見を得た」という前段の話であり、ケニアのバラとの出会いは、まったくの偶然でした。

 

◆未知の分野にビジネスの種があった

 

事の発端は、アフリカのとある政商と知り合ったことでした。政商とは、政府や政治家と結び付き、特権的な利益を得ている商人です。その政商から、次のような相談を受けました。

 

「ナミビアの砂漠で、うまく水を供給して灌漑農業をやる事業ができないか」

 

当時の僕にとって、農業、しかも砂漠の灌漑事業など、まったく未知の分野でした。それでも僕は「調べてみます」と即答して、リサーチを始めました。絶対不可能でない限り、どんなことにもとりあえず飛び込んでみるというのが、僕のスタンスです。なぜなら、調べているうちに必ず新しい発見や気づきがあるからです。

 

いろいろ調べて回りましたが、事業の規模がどうにも大きくなってしまい、中小企業が実現するには荷が勝つようでした。壁の高さに頭をひねっていたタイミングで、東京ビッグサイトに農業関係の最新情報が集まり、技術や機材が展示される「農業フェア」があると知り、とりあえず出掛けてみました。

 

結論から言うと、農業フェアには灌漑農業のヒントになるようなものはありませんでした。

 

足を棒にして農業フェアの会場を回ったあと、諦めて帰りかけたとき、会場の片隅で、バラが咲いているのが目に留まりました。なんとなしにそこまで歩いていき、バラを眺めてから、その生産国の名前を見て、驚きました。

 

「ケニア? なんでケニアで、バラなんだ」

 

今思えばその疑問こそ、新たなビジネスの種となるものでした。2015年のことでした。

ケニアは、世界でも有数の「バラの産地」だった

◆30を超えるバラ農園に足を運ぶ

 

当時の僕にとって、バラの生産国といえばヨーロッパやオランダというイメージ。アフリカでバラができるなど、考えたことがありませんでした。

 

さっそくインターネットで調べてみると、ケニアは世界でも有数のバラの産地であるとわかりました。バラというのは、品種により好む環境が異なりますが、一般論としては、標高が高いほど大きな花を付けるとされています。ケニアにある標高2,000mほどの土地では、気温がほど良く安定しており、いくつもの品種のバラを栽培するのにうってつけの環境であるといいます。

 

「なるほど、これは面白そうだ。とりあえず現地に行ってみよう」

 

思い立ったが吉日で、僕はその農業フェアから2週間も経たないうちに、ケニアへと飛びました。

 

最初の目的地は、ケニアのバラ栽培の発祥の地といわれている、ナイバシャに定めました。この段階では「バラを輸入してオンラインで販売しよう」などと明確に考えていたわけではありません。面白そうなものがあれば、とりあえず現地に行ってみるというのが、僕の信条であり、それに従ったまでです。

 

とはいえ、当時は花業界とは縁もゆかりもなかったですし、ケニアで誰かがエスコートしてくれるわけでもありませんでした。

 

ナイバシャに着いてから、僕はグーグルマップで、バラに関係がありそうな会社や農園を調べ、自分で車を手配し、手当たり次第に訪問しました。そして「すみません、日本の商社なのですが、バラのことが何も分からないので、教えてください」と聞いて回りました。

 

こうして教えを乞うと、思いのほか多くの人が、親切にしてくれるものです。

 

「うちは栽培はやってないけど、この先にはバラ農園があるよ」

「親戚が農園をやっているから、電話してあげよう」

 

そんな感じで、ケニアのバラについて、現地で新たな情報を知るにつれ、僕は「これはきっとビジネスになる」と確信を深めていきました。僕は30を超えるバラ農園に足を運び続けました。ケニアでしか育たないような、見たこともない色合いや形のバラの数々…。僕は気高く咲き誇るケニアのバラの虜となっていきました。

 

【次回に続く】

 

小林 邦宏

株式会社グリーンパックス 専務取締役

 

なぜ僕は「ケニアのバラ」を輸入したのか?

なぜ僕は「ケニアのバラ」を輸入したのか?

小林 邦宏

幻冬舎メディアコンサルティング

「東大から財閥系商社」というキャリアを投げ捨て、アフリカ・ケニアのバラ農園との取引をたった一人で開拓し、「世界の花屋」チーフバイヤーとして多くのメディアから注目を集める著者。 なぜ、財閥系商社を飛び出して「フ…

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