『なぜ僕は「ケニアのバラ」を輸入したのか?』(幻冬舎MC)を上梓した小林邦宏氏は、「東大から財閥系商社」というキャリアを投げ捨て、アフリカ・ケニアのバラ農園との取引をたった一人で開拓した。同氏は、世界の花屋として活躍しているが、もう一つ、「水産業」の世界で貴重な経験を収めている。サケとサバの展開で失敗し、チリで食材を探すなか、「大ぶりのウニ」という新しいビジネスチャンスを手にしたのだ。

ウニの世界には派閥がある…荒くれ者で曲者ぞろい

◆難しいからこそ、リターンは大きい

 

ウニの世界というのは、とても人間臭いところがあり、基本的にはよそ者を受け付けないうえに、派閥や反目がけっこうありました。

 

チリのウニの生産者たちも、荒くれ者で曲者ぞろい。「あの漁師と付き合う気なら、おれはお前とは付き合わない」などと気難しい人も多く、ビジネス以外のところでいろいろと調整が必要でした。僕は10回以上、現地に足を運び、少しずつ信頼を集めていきました。

 

人間関係の調整を繰り返し、ようやくうまくいきかけても、海外の競合他社から横やりが入り、邪魔をされて白紙に戻ったりしました。

 

最終的には、「これからビジネスを広げていきたい」という新興勢力と知り合えたことで、ようやく仕入先が決まりましたが、そことの関係ができるまで、2年ほどかかりました。

 

チリのウニにも日本の先行他社が全く存在しないわけではありません。ただ、ここまで現地に入り込んで人脈をつくり、安定した供給体制を整えた会社は数少なく、苦労はしましたが僕の大きな強みになりました。

 

ほかの人ができないことをすれば、それでオンリーワンの存在となれます。一見すると難しいことほど、挑戦して成功した際のリターンは大きくなります。労を惜しまず、諦めず、気長にこつこつとアプローチし続けられるかどうかが、勝負を分けます。

 

こうして仕入れるようになったウニは、現在は回転ずし店などを中心に、広く使っていただいており、それなりのビジネスとなっています。サバ、サケと二つの失敗と経験を経て、ついにウニという食材に辿り着くことができたのです。

 

「サバとサケ」二つの失敗を経て、ウニに辿り着いた
「サバとサケ」二つの失敗を経て、ウニに辿り着いた

「日本で売るなら、アカニシのほうがいいぞ」

◆ブルガリアにあった、ニッチな日本向け食材

 

水産物は、ウニだけに特化してやってきたわけではありません。ウニの仕入先を探すのと併せて、いくつもの水産物を探し、ビジネスにできないか試行錯誤してきました。そのなかで印象的だったのが、「貝」です。

 

アイルランドで最初に出会ったのは、ツブ貝でした。少量取引のため大手は注目せず、ニッチな商材と言えます。僕はすぐに仕入先を確保して、そのツブ貝を日本の珍味業界に売り込みに行きました。結果的に取引先も無事見つかり、ビジネスが生まれました。決して大きな商いではないのですが、ツブ貝は今でも取り扱っています。

 

そして、ツブ貝のつながりで出会った珍味業界の関係者から、耳寄りな情報が飛び込んできました。

 

「日本で売るなら、ツブよりも、アカニシのほうがいいぞ」

 

ツブ貝は、おすし屋さんなどでもおなじみですが、アカニシ貝という名は聞いたことがありませんでした。

 

アカニシ貝は、10~15㎝ほどの大きさの巻貝であり、その身はサザエよりうまいと評する人もいるほど、食用に適した貝です。瀬戸内海、有明海など一部の地域では、日常的に食され、最近は関東のおすし屋さんでも提供されるようになっていますが、流通量としてはまだまだ少なく、ホタテやカキに比べればニッチな貝であると言えます。

 

アカニシ貝の生息地は、北海道南部から日本列島の広い範囲と、台湾や中国の海域にわたっています。また、そこからヨーロッパの黒海にも持ち込まれて、「トップシェル」の名で、日本に逆輸入されるようになっています。

 

なお、トップシェルはアフリカのセネガルにも生息しており、ほかのビジネスで関係のあったセネガルの人脈を通じて紹介を受けた輸入先の有力候補が、ブルガリアでした。アフリカから、ヨーロッパの情報が入ってきたわけです。そこで僕はブルガリアに行き、無事にアカニシ貝の仕入先を見つけ出しました。

 

現在では、ブルガリアのアカニシ貝は主力商品の一つです。日本におけるアカニシ貝の取扱量で、僕の会社はトップ3に入る規模となっています。こうしてウニやアカニシ貝の開拓に成功したことで、2013年ごろに、ようやく水産業を事業の柱の一つに育て上げることができました。

 

そしてアカニシ貝でつながったブルガリアのパートナーが、のちの精油ビジネスのきっかけとなるのですから、商売というのは本当になにがあるかどうつながるか分かりません。

 

そして時系列としては、その後2015年に「ケニアのバラ」と出会い、プラスチック業、水産業、花という「三足の草鞋」を履くことになります。

「水産ビジネス」の経験が、「精油」の世界へ導いた

世界の水産業に携わるようになって、分かったことがあります。水産業というのは、海の状況一つで漁獲量が大きく変わることもあり、安定しているとは言えません。だから水産業を手掛ける人は、別のビジネスにも手を伸ばすことが多くあります。

 

特に「農業をやりたい」というニーズをよく耳にします。「海の人間は、陸に憧れる」ということで、僕のところにも、そんな相談がいくつか来ました。

 

ある日、アカニシ貝を扱うブルガリアのパートナーから、「自分の土地で植物オイルを作り、ビジネスにしたい。日本で売ることはできないか」と相談を受けました。そこで僕は、オイルの世界に興味を持ちました。

 

そういえば以前、ニュージーランドの花の生産者も、マヌカオイルを作るんだが、日本で販売しないか、と言ってきたな…。なんだか自分のなかで引っ掛かるものを感じ、そこからオイルについて調べ始めました。

 

結局、ブルガリアのパートナーと組んで、オイルの仕事をすることは叶いませんでしたが、オイルという商材に僕は魅力を感じました。当時すでに、「世界の花屋」というサイトをオープンさせ、顧客に対するマーケティングを頻繁に行っていました。

 

「世界の花屋」は30歳から50歳くらいまでの、アッパーミドルの方々をターゲットにしています。その層と、美容に関心が高くオイルを買ってくれる層とが、合致しているように思いました。

 

これは、世界の花屋で蓄積したネットビジネスの手法を横展開、応用できる。同じような形で、美容オイルを販売してはどうだろう。そう思い立ち、オイルの素材の調査を始めました。

 

僕がまず目を付けたのは、アフリカ大陸。エジプトからスーダンを通ってケニアまで流れているナイル川の流域に、良質な素材があるという情報を得たからです。現地のエジプト人によると、同じナイル川の流域でも、土砂の流れなどによって肥沃な土地と、そうではない土地に分かれ、育つものも違うといいます。

 

何度かナイル川流域に足を運びましたが、なかなか納得のいく素材が見つかりませんでした。そこで改めて世界に目をやり、広い範囲で素材を探し、イスラエルの砂漠の「ホホバ」、モロッコの砂漠で実を付けた「アルガン」、そしてアフリカ南部の砂漠で育った「マルラ」の実から、オイルを作るということで着地しました。

 

こうして2018年に立ち上げたのが、美容オイル専門ブランド「精油とわたし」です。ブランドの立ち上げにおいては、「世界の花屋」事業におけるオンラインストア運営のノウハウが役立ちました。

 

このように、世界でパートナーが多いほど、ビジネスの新たな種がもたらされる機会が多くなります。世界でビジネスを展開するなら、事業になるかどうかは別として、一度つながった人脈を大切にしておくと、きっといつか役に立つはずです。

 

 

小林 邦宏

株式会社グリーンパックス 専務取締役

 

なぜ僕は「ケニアのバラ」を輸入したのか?

なぜ僕は「ケニアのバラ」を輸入したのか?

小林 邦宏

幻冬舎メディアコンサルティング

「東大から財閥系商社」というキャリアを投げ捨て、アフリカ・ケニアのバラ農園との取引をたった一人で開拓し、「世界の花屋」チーフバイヤーとして多くのメディアから注目を集める著者。 なぜ、財閥系商社を飛び出して「フ…

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