「猫は元気か」「毎日暑いな」父の字が崩れていく
◆娘の思い、親に通じず
そこで思いついたのが「向田邦子(むこうだくにこ)のはがき作戦」である。彼女のエッセイ『字のないはがき』は、学童疎開した幼い妹に大量のはがきを渡し、元気なときは〇をつけてポストに入れるように指示した父親の話だ。まだ字が書けない妹でも、〇なら書ける。初めは大きな〇だったが、次第に小さくなっていき……という涙を誘う話だが、ひらめいた。
父に、切手を貼りつけた大量の絵はがきと、私と姉の住所を書いた紙を渡した。「なんでもいいから書いて毎日ポストに出しに行って」字を書くこと、書く内容を考えること、そして郵便ポストまで(といっても、家の真ん前にあるのだが)歩くという運動効果も得られると思ったのだ。
初めのうちは毎日はがきが来た。宛先も文面も微妙に斜めになっているが、よしとしよう。「猫は元気か」「こっちは桜が咲いたぞ」「毎日暑いな」などたいして中身のないことが書かれていた。しかし、だ。どんどん間が空くようになった。文字は異様に斜めになり、郵便局の人もよく読めたな、という梵字(ぼんじ)級の悪筆に。そのうち一切届かなくなった。
後で聞いた話だが、後半、ポストに出しに行っていたのは母だったという。本末転倒! 作戦失敗! 向田邦子に土下座して謝りたい。
そういえば、まだ父が元気に歩ける頃、門前仲町の深川不動尊で一緒に写経をしたことがある。般若心経が書かれたお手本の上に半紙を置いて、なぞるだけだ。意外と時間がかかるが、集中力が必要でボケ防止にはいいと聞いた。早速、写経セットを買って、父に渡したことがある。父、結局1回もやらなかった……。
また、姉が「マンダラぬり絵」を父と母に渡したこともあった。色鉛筆で好きな色を塗るだけ。色を塗りつぶすだけの作業だが、心が整い、癒やしの効果があるという。手先を使ってボケ防止にもなる。父も母も、結局1回もやらなかった……。般若心経もマンダラも白紙のままである。
中学生のとき、担任教師から嫌みを言われたことを思い出した。あまり勉強しなかった私に対して、「馬に水を飲ませようとして、水辺に連れて行くことはできても、馬が飲もうとしなければ無駄だ」みたいなことを言われた。ことわざか何か知らんが、ものすごく馬鹿にされたような気になり、受験勉強を必死に頑張った。志望校を告げても「今のままでは小指しか届いてないから、ランクを下げたほうがいい」とまで言われた。
悔しかったが、猛勉強して志望校に合格した。今思うと、あの教師、私の負けず嫌いを見抜いていたんだな。要するに、やる気の問題である。
ボケ防止だの脳トレだのといろいろ手配しても、本人がその気にならなければ、やらないという話。下手にお金をかけてグッズを揃えても、ハマらなければホント無駄になる。親が無気力になってからでは、遅いのだ。
もうひとつ、父の明らかな変化をかなり前から姉が指摘していたことを思い出した。とにかく食べ方が汚いのだ。手と口の連動がうまくいかないのか、食べこぼす率が増えた。姉は「人前でモノを食べさせないほうがいいレベル」と言っていた。
昔、向田邦子作品の『寺内貫太郎一家』(TBS)というテレビドラマで、おばあちゃん役を演じていた樹木希林(当時は悠木千帆<ゆうきちほ>)がやたらと食べこぼしていたのを思い出す。孫役の西城秀樹(さいじょうひでき)が「きったねーな、ばあちゃん!」と毎回怒るのである。まさに、あれ。「きったねーな、まあちゃん!」だ。
もともと口元がゆるいというか、わりと食べこぼす人だなとは思っていたのだが、男性はみんなそんなもんかとたかをくくっていた。それにしたって、ひどい。もし外で食べていたら、スズメとカラスとアリが足元に集まるくらいの食べこぼし感、といったら伝わるだろうか。地球にやさしい食べ方。でも掃除をする母にはちっともやさしくない。舌打ち百万回である。
【第1回】「かってきたよ゜」父のメールに、認知症介護の兆しが見えた
【第2回】垂れ流しで廊下を…認知症の父の「排泄介護」、家族が見た地獄
【第3回】在宅介護はいたしません…認知症が家を「悲劇の温床」に変えた
吉田 潮