会社が得た利益を「ご褒美」の形に変えて還元する意味
法則 ご褒美をあげたことは、次の瞬間に忘れる
社員に利益を還元できないという経営者は、その理由として主に二つを挙げます。
一つは、「そもそも還元できるだけの利益が出ていない」ということです。これについては既にお伝えしたように、本当に社員に報いることができる人は赤字でもできるのです。従って利益の有無を理由に挙げるのは言い訳に過ぎません。
もう一つの理由は、「社員に利益を還元しても会社に返ってくるかどうか分からない」ということです。そうやって何らかの見返りを求めている限り、社員にご褒美を配ることはできないと心得てください。
私は本書(『社員の能力を劇的に伸ばす すごいご褒美』)で「社員に報いると、巡り巡って必ず会社に返ってくる」とお伝えしてきましたが、それはあくまでも〝結果〟の話です。私は見返りを期待して社員にご褒美を与えているのではなく、会社のために一生懸命に働いてくれている社員に少しでも報いたいと思い、さまざまなご褒美を渡しているのです。
仏教に「施し」という教えがあります。これは仏教の開祖であるお釈迦様が説いた善行の一つで、正しくは「布施」といいます。お釈迦様の教えでは、この布施は人間が徳を積み上げていくために不可欠なものとされています。
この布施は本来、お金や物を与えることだけを指しているのではありません。仏教には、以下のような「無財の七施」という教えがあります。
眼施(がんせ):温かく優しいまなざしを施すこと
和顔施(わがんせ):優しい微笑みで接すること
言辞施(ごんじせ):優しく時に厳しい愛情のこもった言葉をかけること
身施(しんせ):自分の身体を使って社会のために働くこと
心施(しんせ):思いやりと感謝の気持ちを持つこと
床座施(しょうざせ):場所を譲る(転じて親切にする)こと
房舎施(ぼうしゃせ):家や部屋を提供する(転じておもてなしをする)こと
施しも本来はこの「無財の七施」のように、お金の有無にかかわらず相手に優しく親切に、思いやりと感謝の気持ちを持って接することなのです。
こうした施しの本来の目的を大切にしながら、さらに具体的な形があったほうが気持ちがより相手に伝わりやすいために、当社では会社が得た利益の一部をご褒美という形に変えて社員、その社員を支えてくれている家族、協力してくれる取引先に還元してきたのです。
この施しを行う際に最も大切なのは「見返りを期待しない」ことです。見返りを求めてしまうと利益を還元できません。
ある取引先の経営者は会社内に自動販売機を設置し、工場で働く社員に毎朝1人100円ずつ渡していました。製造工程で火を扱うことから工場内が暑くなり、ジュースを買って喉を潤してほしいと思ったのです。
ところが結局、100円を渡すのをやめてしまったといいます。理由は、「ジュースを買わずに100円を持って帰っている社員がいたから」ということでした。
私はこう伝えました。
「社長、それではジュースを買って飲んでいる社員さんがかわいそうでしょう。10人いればいろんな考えを持った人がいるものです。みんなが社長の思いに応える行動をするとは限らないと割り切って、100円の使い道は社員さんに任せたらよろしいのです」
この取引先の経営者のようにお金や物を渡した気持ちが強すぎる人は、社員に分け与えるのが次第に苦痛になってきます。〝してやっている〟という意識が強いため、相手が期待どおりの行動をしてくれなかったり、お礼の一言を言ってくれなかったりすると腹が立ってくるのです。