後継者を「一人の企業家」と捉えることで見えてくるもの
長らく、日本では事業承継の問題が会計税務の領域を中心に議論されてきました。その一方で欧米では、ファミリービジネス研究の分野で事業承継の問題が経営上の重要な研究テーマとされてきました。
主たる研究領域としては、事業承継における現経営者(バトンを渡す側)の役割にはじまり、後継者(バトンを受ける側)の乗り越えるべき課題に焦点があてられた後、両者の関係性に関心が向けられました。欧米の研究において一貫して追求されてきたのが、いかに次の世代に上手に経営のバトンを引き継ぐのかという研究課題です。
この研究課題が重視されたのは、欧米の、世代から世代への事業承継率の低さが起因しているという見方があります。そのため、経営のバトンを引き継いだ後継者の承継後の行動の生成と展開については、事業承継研究の領域では十分議論がなされてきませんでした。
他方、経営学の一つの研究領域として、企業家研究(アントレプレナーシップ研究)があります。企業家研究とは、経営資源(ヒト・モノ・カネ・情報)に乏しい企業家がゼロから事業を立ち上げて軌道にのせる態様を研究するものです。
一見すると、企業家研究はファミリービジネス研究や事業承継研究と関係がないように思えます。しかし、経営のバトンを引き継ぐ後継者は、最初から経営資源(ヒト・モノ・カネ・情報)を自分の思うように使えるわけではありません。その意味では、ファミリービジネスの後継者を一人の企業家と捉えることで、事業承継のプロセスを豊かに説明することができるかもしれません。
[図表]企業家研究と事業承継研究の融合
後継者に求められる、企業家と同様の「特性」
企業家研究によると、一般的に企業家とは三つの特性をもった主体として定義することができます。
第一に、企業家の思考や行動の進取性があげられます。企業家には、先人の経営者たちと明確に差別化された思考や行動が求められます。
第二に、革新性をもたらす役割があることです。革新性とは、先述の進取的な思考や行動に基づいて、新製品の開発、新市場の開拓など組織にイノベーションをもたらすことを意味します。
最後に、リスク・テイキングがあげられます。企業家とは、見本例のない中で、新しい課題に果敢に挑戦せねばならず、その行動には当然リスクが伴います。
このように、企業家の定義から考えると、事業承継のプロセスにおかれている後継者にも企業家と同様の特性が求められていると考えることができます。
以前の連載でも取り上げましたが、日本の老舗企業の研究では、駅伝襷経営というメタファーを活用した概念があります。駅伝ランナー(後継者)は、前走者(先代経営者)から襷(事業)をしっかりと受け取らねばなりません。それだけではありません。駅伝ランナーは、区間責任を果たさねばなりません。区間責任を果たすことは、後継者が自分の時代(経営環境)に適合した独自の思考や行動を起こさねばならないことを示しています。この経営環境に応じた独自の思考と行動とは、まさしく企業家の機能そのものであるといえます。
企業家研究を事業承継研究に持ち込むことで、日本の老舗企業の伝統と革新のダイナミズムをより生き生きと動態的に考察することができるでしょう。
<参考文献>
足立政男(1974)「経営者の在り方(一)-老舗の家訓・店則から見た-」『立命館経済学』第二十一巻第二号, 1-24頁.
足立政男(1993)『「シニセ」の経営-永続と繁栄の道に学ぶ』広池学園出版部.
金井一頼・角田隆太郎編(2002)『ベンチャー企業経営論』有斐閣.
前川洋一郎・末包厚喜編(2011)『老舗学の教科書』同友館.
落合 康裕(2013)「事業承継を通じた伝統と革新」『Global産業と創造経営』, 291-303頁.
落合康裕(2014)「ファミリービジネスの事業継承と継承者の能動的行動」『組織科学』第47巻 第3号. 40-51頁.
落合康裕(2014)『ファミリービジネスの事業継承研究-長寿企業の事業継承と継承者の行動-』神戸大学大学院経営学研究科博士論文.
落合康裕(2014)「ファミリービジネスの事業承継研究の系譜」『事業承継』Vol. 3, 55-66頁.
落合康裕(2016)『事業承継のジレンマ:後継者の制約と自律のマネジメント』白桃書房.
Ward, J. L. (1987). Keeping the Family Business Healthy. San Francisco: Jossey-Bass.