過酷な労働環境や過度な合理化がサービス低下を招く
今、日本は「おもてなしの国」として話題になり、世界中から気遣いの文化が注目されていると聞きますが、私の身近で起きている日々の出来事を見ていて、「もはや、おもてなしや気遣いについては過去のものになりつつあるのでは」と感じることがしばしばあります。
先日もコンビニエンスストアでレジには店員が一人しかおらず、お客様が5人ほど列を作っていました。私はその最後尾に並んだのですが、よく見ると、店内にもう一人、棚に品物を並べている店員がいるのです。以前だったら、その品出しをしている店員が行列に気づいてレジに駆け寄ってきて、「2番目の方、こちらへどうぞ」と言ってくれました。しかし、このときの店員は知らぬ顔。レジ打ちをしている店員も「品出しは中断して、先にレジを手伝って」とサポートを求めることもなく、黙々とレジ打ちをしていました。
たまたま入った店のアルバイトが気が利かなかっただけだろうとも思いましたが、同じような経験はその後も、別のコンビニエンスストアでも、スーパーやレストランなどでも度々ありました。これはどうやら偶然ではないようです。
私は、接客の基本である「お客様をお待たせしない」というサービスの心は、一体どこへ行ってしまったのだろうと残念に思いました。とはいえ、人手不足でやるべき仕事が回らないとなると、レジで客を待たせてしまうのもしようがないところはあるでしょう。頼む側も見ていてかわいそうになり気が引けてしまうような、広いホールに1、2名の人員配置といった労働環境であったり、グローバル社会という合理化の名のもとの効率化。こうした事情を背景に、この国のサービスの質が徐々に低下している気がして仕方がないのです。
リストラは経営者の「敗北宣言」
今のご時世、どこの企業も経営改善のためのコスト削減や効率化は不可欠ですが、「カットしていいもの」と「残すべきもの」との見極めには慎重にならなくてはいけないと思います。
先にも述べましたが、当社のような小さな会社は特に、人材を募集してもすぐには人が集まってきません。ましてや初めから仕事ができる優秀な人材が来るなどということは、まず期待できません。たまたま素晴らしい人と巡り合うことはできても、それはごく稀であって、採用段階でこちらが選べるほどの人数は来ません。経営者の方であれば、同じような苦しみを経験されたことがあるのではないでしょうか。また現在、その真っ只中にいる方もおられるでしょう。
私の場合も悩みの多くは「人」の問題です。私自身の力量不足は否めませんが、少なくともリストラについての考え方だけは、自分なりに信念のようなものが固まりつつあります。それは、採用したのは会社(経営者である私自身)だということを肝に銘じ、そのうえで会社の都合では絶対に縁を切らないということです。夜も眠れないほど苦しい日々を過ごすこともありますが、辞めさせないと決めた以上、あとは方法論を考えるだけですから、むしろいい方向に向かっているように感じています。生来の負けず嫌いの性格もあり、「リストラしたら経営者としての私の敗北」と決めたことで、自分のためにもがんばることができています。
本書で紹介する営業の仕組みは「私から縁を切らない」という覚悟から突き詰めていった結果たどり着いた、私なりの一つの答えです。