引き抜きが「違法」になるのはどのような場合か
この論点については、すでに多くの記事がWebメディア等に出ていますが、実際に裁判でその請求が認められるかどうかまでを掘り下げたものは少ない印象です。そのため、本記事ではその点に絞ってみたいと思います。
大前提として、退職した従業員が同じ業界で独立し、以前に担当していた顧客と取引を始めること自体は原則として自由です。最高裁も、退職した従業員が元の勤務先の顧客と取引をした事案について、社会通念上自由競争の範囲を逸脱した違法な態様といえない限り不法行為には当たらない、と判断しています(最高裁平成22年3月25日判決)。
したがって、不正競争防止法上の「営業秘密」を不正な態様で利用したか、有効な競業避止義務や秘密保持に関する覚書があった等の事情がある場合にのみ権利行使が可能、というのが大きな枠組みになります。
(1)行為の違法性
退職した従業員が、仮に退職前(在職中)に、会社の業務として築いた立場を利用し、顧客へ「独立後は自分と契約してほしい」と働きかけていたのであれば、労働契約上の誠実義務に反するものとして、債務不履行や不法行為が成立し得ます。
他方、退職後の勧誘については、次の3点で検討することになります。
①誓約書や就業規則に、有効な秘密保持義務・競業避止義務の定めがあるか
②持ち出された顧客情報や価格情報が、不正競争防止法の「営業秘密」(同法2条6項。秘密管理性・有用性・非公知性の3要件)に当たるか
③勧誘の態様が、自由競争として許される範囲を超えていないか
なお、①について競業避止の合意があれば常に有効というわけではありません。制限の期間・地域・職種の範囲、対象者の地位、代償措置の有無などから合理性が審査され、範囲が広すぎる条項は公序良俗に反して無効と判断されます。他方で、契約上の秘密保持義務については義務そのものの存在は認められやすいものの、最後の③の勧誘の対応で本当に秘密情報の「利用」であったかどうかを問われます。
また、②について、全ての顧客情報が「営業秘密」に該当するわけではなく、裁判例ではかなり厳しく秘密管理性、すなわちきちんと他の情報を区別して秘密であることを認識できるような状態で管理していたかどうかを問われます。
(2)元従業員への通知書
義務違反又は不正競争防止法違反に当たると思われる行為がある場合に、その中止を求める通知を元従業員宛に出すことは基本的には問題ありません。時期を逸すると顧客の契約切替えが完了してしまうため、素早い対応が望ましいといえます。
他方で、もう一歩踏み込んで裁判上の権利行使が認められるかどうかは上記(1)で述べたような観点でさらに検討が必要になりますし、裁判上で公的に認められた権利行使ではないので、書き方は事案に応じて慎重に選ぶ必要があるといえます。
(3)顧客企業への通知
こちらは慎重な対応が必要です。元従業員について法的な義務違反がある旨を顧客企業に伝えると、すでに元従業員とは競業関係にあるので、不正競争防止法が禁じる信用毀損行為に当たるおそれがあります。
ここでは虚偽であったかどうかが問題になりますが、客観的に「虚偽」かどうかは、裁判が確定しない限り判定できません。つまり、(4)で起こした裁判等で負けてしまうと、逆に元従業員側から損害賠償を求められる可能性があることに留意いただく必要があります。
(4)差止請求・損害賠償請求
営業秘密の不正な使用が認められる場合には、不正競争防止法3条に基づく差止請求、4条に基づく損害賠償請求ができ、5条の損害額の推定規定も利用できます。
契約上の競業避止義務違反・秘密保持義務違反であれば債務不履行に基づく損害賠償、態様が悪質であれば不法行為(民法709条)が根拠となります。急を要する場合は秘密保持命令等の仮処分の申立ても選択肢になります。
(5)保全すべき証拠
まずは在職中のメールやチャット、貸与パソコン・クラウドのアクセスログやダウンロード履歴は、上書きや自動削除が生じる前に保全してください。特に、情報を積極的に外部に持ち出した履歴等は、その秘密情報が使われたかどうかの極めて重要な証拠になります。事案によっては、フォレンジック業者等に調査を依頼することも想定されます。
その次に、秘密保持や競業避止義務等について、就業規則・誓約書、顧客情報へのアクセス権限の設定状況や「マル秘」表示など秘密管理性を裏付ける資料、解約の申し出を受けた際の顧客とのやり取りの記録等もあることが望ましいといえます。

