末期がんの義母をわが家で…医師自身の「看取り経験」
緩和ケアと聞くと、投薬や注射等で痛みやつらさをやわらげる、薬物的なアプローチを思い浮かべる方が多いかもしれません。しかし、患者さんの目を見て語りかける、患者さんを1人の人間として尊重する、といったこと自体も大切な緩和ケアの一環です。それらを「非薬物的な緩和ケア」といいます(記事『〈在宅医療の最新事情〉家族への負い目、人生への苦悩…患者の「スピリチュアルペイン」を和らげる、非薬物的緩和ケアの重要性』参照)。
本記事では、筆者である私自身の体験に基づき、緩和ケアについてお話ししたいと思います。
今から30年ほど前、妻の母親が子宮がんを患い、脊椎への転移による激しい痛みと下肢の麻痺のため、歩くことが難しくなりました。
当時、大学病院に勤務していた私は、婦人科や放射線科の医師に相談し、疼痛を和らげるための放射線治療を受けてもらうことにしました。義母を長野県岡谷市から茨城県の私たちの家へ連れてきて、治療後はそのまま私たちの家で療養してもらいました。
ほんの半年ほど前には、私たちの末の子の出産に合わせて1ヵ月ほど手伝いに来てくれていた義母でした。それが一転し、病気の療養のために再び私たちの家に来ることになったのです。
義父も一緒に来て、献身的に看病していました。
今でも忘れられない光景があります。
義母はよく、「足がだるい。お父さん、マッサージして」と訴えていました。義父は一生懸命に足をもむのですが、そのうち自分の手が痛くなり、続けられなくなります。すると義母は「なんでやってくれないの」と涙ながらに訴えました。
義父は負担を減らそうと、自分で道具まで工夫しました。しかし、義母にとっては、人の手でしてもらうマッサージとは違ったのでしょう。
当時の私は大学病院の勤務で多忙で、妻も5人の子育てで精一杯でした。
一方、義母は両脇に杖を当て、上半身の力を使えば何とか歩くことができました。私はADL(Activities of Daily Living:日常生活動作)をできるだけ落とさないほうがよいと考え、トイレまではなるべく自分で歩くよう勧めていました。
頑張り屋だった義母は、私の言葉を守ろうとして、両腕で必死に体を支えながら1日に何度もトイレまで往復していました。
ある日、義母が私にこう尋ねました。
「むつみさん、私、こんなに頑張らなくちゃいけない?」
その言葉が、今でも耳の底に残っています。
当時は、現在のように訪問診療の体制が整っていた時代ではありませんでした。それでも時折、近所の知り合いの医師に往診してもらい、義母が私たちの家で息を引き取ったときも、死亡診断をしてもらいました。
今思えば、この経験が、のちに私を在宅医療の世界へ導いた1つの原点だったのだと思います。
