便利になった暮らしのなかで、夫婦が恋しくなったもの
ある日の夕方、千恵子さんが昭夫さんに言いました。
「前だったら、今日みたいな日は幸子さんと玄関先で話してたかもね」
以前の家の近所に住んでいた友人のことでした。30年近い付き合いがあり、約束をしなくても顔を合わせれば話をする間柄でした。
昭夫さんにも同じような知人がいました。近所に住む男性とは、散歩の途中で会えば一緒に歩くことがあり、地域の行事にも参加していました。
住み替えてからも連絡は取っています。ただ、以前のように偶然会うことはありません。
「会おうと思えば電車で行けます。でも、『今日行っていい?』と連絡して出かけるのと、家を出たらたまたま会うのは全然違うんですよね」
夫婦が失ったと感じていたのは、親しい友人そのものというより、人とのつながりが自然に日常へ入り込んでいた環境でした。
内閣府『令和5年度 高齢者の住宅と生活環境に関する調査』を基にまとめられた『令和6年版高齢社会白書』では、高齢期の住まいや地域の環境で重視することとして、「医療や介護サービスなどが受けやすいこと」が最も多く、「駅や商店街が近く、移動や買い物が便利にできること」が続いています。一方、「親しい友人や知人が近くに住んでいること」を重視する人もいます。また、地域に住み続けるために「近所の人との支え合い」が必要だと考える人は半数を超えています。
とはいえ、夫婦は以前の戸建てへ戻ることを考えているわけではありません。
「車が必要だった生活に戻るのは、やっぱり不安です。ここを選んだことを後悔しているわけでもないんです」
二人が始めたのは、新しい地域で顔見知りをつくることでした。
千恵子さんは地域の文化施設で開かれている講座に参加し、昭夫さんも週に数回、近所の公園を同じ時間に歩くようになりました。マンションの住人とも、顔を合わせれば自分から挨拶をするようにしています。
すぐに以前と同じ人間関係ができたわけではありません。それでも、少しずつ立ち話をする相手が増えてきました。
高齢期の住み替えでは、駅やスーパー、医療機関までの距離や住宅のバリアフリー性など、目に見える条件を比較することは大切です。一方、長く住んだ地域を離れれば、そこで積み重ねてきた人とのつながりも変わります。
便利な場所へ移ることと、心地よく暮らせることは必ずしもイコールではありません。住み替えを考える際には、「何が便利になるのか」だけでなく、「今の暮らしから何がなくなるのか」まで考えておくことも必要でしょう。
【関連記事】
■月20万円もらえるはずが…45歳・サラリーマン「ねんきん定期便」に抱いた違和感。「年金ルール」知らずにそのまま20年…65歳で受け取ることになる年金額に唖然「何かの間違いでは?」
■「銀行員の助言どおり、祖母から年100万円ずつ生前贈与を受けました」→税務調査官「これは贈与になりません」…否認されないための4つのポイント【税理士が解説】
■親が「総額3,000万円」を子・孫の口座にこっそり貯金…家族も知らないのに「税務署」には“バレる”ワケ【税理士が解説】

