「ここなら車がなくても暮らせる」郊外の戸建てを離れた夫婦
「そろそろ、車がなくても暮らせるところに移ったほうがいいんじゃない?」
妻の千恵子さん(仮名・72歳)が夫の昭夫さん(仮名・74歳)にそう話したのは、昭夫さんが運転免許の返納について考え始めたころでした。
夫婦の年金は合わせて月約24万円、預貯金は約2,300万円。子どもは独立し、郊外の戸建てで二人暮らしをしていました。
住宅ローンは完済していますが、最寄り駅まではバスで20分ほど。スーパーへ行くにも車が便利で、通院の際にも昭夫さんが運転していました。
「今は運転できても、80歳になったらどうするのかという話になったんです」
そこで夫婦が探したのが、駅から歩いて暮らせるマンションでした。
見つけたのは、快速列車も停車する駅から徒歩5分ほどの中古マンションです。駅前にはスーパーやドラッグストアがあり、内科や歯科も徒歩圏内。バスに乗れば総合病院にも行けます。
夫婦は戸建てを売却し、その資金の一部を使って2LDKの部屋を購入しました。引っ越しを機に昭夫さんは車も手放しました。
総務省統計局『令和5年住宅・土地統計調査』によると、高齢者のいる夫婦のみの世帯が暮らす住宅の87.6%は持ち家です。高齢期にも持ち家で暮らす夫婦は多く、住まいをどう維持していくかは長い老後を考えるうえで身近な問題です。
新生活は、夫婦が想像していた以上に便利でした。
「牛乳がない」と気づけば、徒歩数分で買いに行けます。雨の日でも駅前で多くの用事が済み、電車を使えば街の中心部にも簡単に出られます。
庭の草取りもなくなり、階段の上り下りもありません。千恵子さんは娘に、「もっと早く引っ越してもよかったかも」と話していました。
ところが半年ほどすると、夫婦の口から別の言葉が出るようになりました。
「便利なんだけどね。何かが足りない気がする」
昭夫さんにも、同じ感覚がありました。
前の家では、朝に玄関を出ると近所の人から声をかけられました。庭にいれば隣家の人と立ち話をし、散歩に出れば顔見知りに会います。
それらは特別な付き合いではありません。
しかし、新しいマンションでは、エレベーターで住人と一緒になっても挨拶を交わす程度。駅前には大勢の人がいるのに、自分たちを知っている人はほとんどいませんでした。
