「鍵、開いてるよ」玄関先で感じた小さな違和感
「母さん、着いたよ」
長男の浩之さん(仮名・55歳)が玄関のインターホンを押しても、返事はありませんでした。
母の幸子さん(仮名・82歳)は夫を11年前に亡くし、一人暮らし。年金は月約13万円、預貯金は約1,100万円あります。住宅ローンを完済した戸建てに住み、これまで身の回りのことは自分でこなしてきました。
浩之さんは車で2時間ほど離れた場所に住んでおり、実家を訪れるのは2~3ヵ月に一度です。その日は事前に午後1時ごろ着くと伝えていました。
もう一度インターホンを鳴らしてから何気なくドアノブに手をかけると、玄関の鍵は開いていました。
「母さん?」
声をかけながら入ると、幸子さんは居間でテレビを見ていました。
「びっくりした。鍵、開いてるよ」
「あら、閉めたと思ってたけど」
幸子さんは特に気にする様子もありません。浩之さんはそこで、なんとなく胸騒ぎを覚えました。
以前の母は、防犯にはかなり気を使う人でした。浩之さんが帰省しているときでさえ、「出入りしたら鍵を確認して」と言っていたほどです。
さらに買い物袋を片づけようと台所へ行くと、同じ銘柄のしょうゆが3本並んでいました。
「これ、買い置き?」
「安かったから買ったのよ」
しかし戸棚には、同じしょうゆがもう2本ありました。冷蔵庫にも卵が2パック、牛乳が3本あります。いずれも開封前の商品です。
「こんなに使う?」
「いつ買ったんだっけね」
幸子さんは笑いました。一つひとつを見れば、大きな異変とは言えません。ただ、浩之さんには気になることが続きました。
昼食後、幸子さんが、「来週、病院だから送ってもらえる?」と言いました。
「来週は来られないよ。病院、今日の午前中じゃなかった?」
浩之さんは、数日前に母から聞いた予定を覚えていました。幸子さんはしばらく考え、「あら、そうだったかしら」と答えました。
厚生労働省『2022年 国民生活基礎調査』によると、要介護者等の年齢構成では年齢が高くなるほど割合が大きくなり、85歳以上が多数を占めています。高齢になれば必ず介護が必要になるわけではありませんが、年齢とともに生活上の支援が必要になる可能性は高まります。
「本当に一人で大丈夫?」
浩之さんが尋ねると、幸子さんは少しむっとしました。
「何言ってるの。ご飯も作ってるし、買い物にも行ってるでしょう」
実際、その通りでした。だからこそ浩之さんも、その場で「一人暮らしは無理だ」とは言えませんでした。
